前提旅行記

2008 アメリカ・グランドサークル旅記 0920-01(by morikensさん)

前提
2008年9月20日(土)

時計を確認すると午前3時・・・。
ありえんのだけど・・・。

時差ボケというよりは体調の悪化で目が覚めてしまったようだった。
昨日の雨と気温の変化に体がついていってないせいか頭痛がする。
風邪を引いたのかもしれない。

こーいうときは栄養価の高そうなものを食うに限る。
スーパーで買っておいたシリアルに牛乳をかけて食べた。
風邪薬と思い込んで二杯食べておく。

カーテンの隙間から外を覗き込むと真っ暗である。
予定では5時に出発と考えていたのだが、体に鞭を打って4時に出発するつもりで準備を始めることにした。
荷物をまとめてプリウスに積み込み、最後にソフトクーラーボックスに製氷機の氷を入れたら見事に氷がなくなった・・・。

時間が経てばまた氷で満たされるさ。

最後に忘れ物がないか部屋の隅々やベットの下を確認して鍵をテレビの上に置いて外に出ようとしたときに、忘れ物に気がついた。
コーヒーメーカーのところにあったドーナツ2個をちゃっかり頂いてプリウスに乗り込んで出発する。

UT-12をひたすら東に進む。
UT-12は、シーニックハイウェイと呼ばれており、その景観はとても素晴らしく観光の目玉にもなっている。

が、真っ暗でヘッドライトの明かりだけが頼りの今、そんなことはお構いなしにひたすら走り続けるのであった。

それでも道路わきにたたずむエルクの家族を見かけたり、道路に飛び出してくるウサギに急ハンドルを切って叫び倒したりと退屈しない時間を過ごすことができた。

だが2時間も走っていると、今更ながら睡魔に見舞われることになる。

自分のこのわがままな体(※注、体型のことではありません)に悩みながら走っているとシーニックポイントの看板があり路肩に大きな駐車スペースを発見。

プリウスを駐車スペースに停車してシートを倒して横になる。
時計は6時を回ったところである。
外はまだ真っ暗で、エンジンを切らずにライトを消して外に出ると星空はきれいだった。

外は非常に寒かったのですぐに車内に戻り仮眠することにした。
目をつむるとこの旅行の計画段階のことがいろいろと思い浮かんでくる。
今更悔やんでも仕方がないし来たからには楽しめばいい。
それだけである。

うとうとしていると東の空が白んできた。
どうやらここは高台に位置しているらしく眼下に荒涼とした風景が広がっているようだった。
せっかくだから日の出を拝んで写真に収めようと三脚を用意して写真を撮ることにした。

UT-12 日の出動画

  • http://www.youtube.com/watch?v=dGbiWTZm07w


  • 7時過ぎに日の出を拝み再び運転を再開する。
    やっとシーニックハイウェイを楽しめるドライブとなる。

    UT-12 走行動画

  • http://www.youtube.com/watch?v=MY3QVfQbnAY


  • http://www.youtube.com/watch?v=yH-I4nzAX0o


  • 順調に進みボウルダーという町に入ったことを記す看板を見つけたので停車した。
    町の地図で現在地を確認しておく。

    近くにガソリンスタンドがあったので給油をすることにした。
    ミニマートという名前の雑貨屋さんで給油と簡単なスナックを買っておく。
    プリウスを走らせること数分でボウルダーメサレストランに到着した。

    このレストランは、Google Earthで見つけたお店で、ぜひ旅の道中で寄ってみようと思っていたところである。
    まあお店の写真が良く撮れていたのでね。

    どうしても、コーヒーとカリカリのベーコンとスクランブルエッグが食べれそうな店に寄りたかったのである。

    店に入ると明るいウェイトレスが笑顔で迎えてくれた。
    窓側の席に座りメニューを見るとお望みのものは揃っていた。
    コーヒーとトースト、カリカリのベーコンとスクランブルエッグの朝食である。
    やっぱりアメリカでの朝はこれだよな、とひとり満足する。
    そういうば朝の頭痛はいつのまにかどこかに消えてしまっていた。

    食事をしつつ地図でこれからのルートを考える。
    実はこのレストランがある場所は、二つのルートの分岐点でもある。
    ひとつめのルートは表のルートでUT-12を地図どおり進むルート。
    もひとつのルートは裏ルートというのは大げさだがBurr Trailと呼ばれる未舗装のルートである。

    前回はUT-12を大人しく進むルートで周った。
    そして今回は、どうせなら違うルートでと考えていたBurr Trailである。
    もちろん前提としては、4WD車というのが条件である。
    どのくらい未舗装かは情報が乏しいのでなんとも言えない。

    数少ない情報では「雨天は死ぬる」という記述を見た程度である。

    2杯目のコーヒーを飲みながらどちらに行こうかと悩む。
    これが旅の最終局面で日程に余裕がなければ選べない選択であるが、今のところ何かあっても何とかできる日程である。

    コーヒーを飲み終える頃には、ひとつの結論に達していた。
    レストランを出るとプリウスは、Burr Trailに進入するが道路脇に立てられた看板の前で停車することに。

    看板にはこう書かれていた。

    「NEXT SERVICES 75 MILES」

    直訳すると「やめといた方がいいんじゃない? 75マイル先までなんもないよ」
    である。

    もっとも75マイル先で、きれいなねーちゃんにサービスが受けられるかは別の話である。

    【旅行時期】2008/09/18~2008/09/26
    【エリア】ユタ州
    【テーマ】
    【投稿者】morikens

    1800円払っても惜しくない映画!(闇の子供たち)(by きっちーさん)

    前提
    久しぶりの地元レポートです。
    まだ書き終わっていない旅行記が、うずたかくのしかかっているので(汗)、しばらくやめておこうかと思ったのですが、やむにやまれず書いてます!
    この映画は、スゴイっすよ。

    そもそもは、りんちぇの『ドラゴンキングダム』を観ようと上映館を検索していたときに、たまたま知ったこの映画。
    人身売買・幼児売買春・臓器密売と、かなりシリアスなテーマで、「知っておきたい」という気持ちはあるものの、ストーリー構成によってはつまんなそうだし、江口洋介が得意じゃないし(セリフはそれほどでもないが、目と表情の演技が・・・演技が・・りんちぇは上手くなくても良いのv)で、

    「どーしよっかなあ、やっぱりんちぇが観たいしー」

    などと思っているうちに、りんちぇ上映終了。
    (ごめんね、りんちぇ~!!仕事忙しくてさー!)

    同時に、すっかり忘れとった『闇の子供たち』。
    台風はたいした事はなかったものの、停滞前線のくそ雨の降る本日、「ああ、今日買っとかないと仕事で遅い日が続く~!!」
    ジーンズを濡らしながら、しぶしぶ伊勢崎モールへ切れた洗剤買いに出たら、道の角に『闇の子供たち』のポスターが。

    夕方6時から一回だけの上映になっていて、

    「あれ、こんな近くでもやってたんだ。時間あったら、観に行くべかナ・・。
    あー、でも、DVD化してからでもいっかな~。映画って高くって。
    千円の日じゃないと、なんかもったいないしネ」

    と、家に帰って室内干しをすませ、ウトウトしているうちに、ハッと気がつくと、5:36!

    「お。間に合わねー。縁が無かったな」

    一瞬思ったものの、ダメとなるとなんとなく気になるもの。
    おもてに出たとたん、タイミングよく来たバスに飛び乗ります。

    こうして、薄暗くなってきた、伊勢崎モールへ取って返します。

    うまい具合にバスに乗れたおかげで、5分ほど前に映画館へ到着しました。
    じつは、ここの映画館へ入るのは初めて。
    ポスターが貼られていることから、映画館のあるのは分かっていましたが、あまり興味のあるフィルムがかかっていなかったのと、場所的に古そうだし、せまそうだし、汚そう・・・。

    「大丈夫かな」

    恐る恐る入ってみると、地下のロビーからしてちっちゃい。
    そして映画の内容とはそぐわない雰囲気で、ロビーには上映待ちの若いカップルが、ひしめいています。

    「妻夫木?ひょっとしてガスパッチョ??」


    「じゃあ、わたしもファンに見えるかなー。なはは。佐藤浩市のほうが好きだけど」などと、頭をかきつつホールのドアの前に並びます。

    時間がきて係りの誘導が始まると、驚いたことに中はとってもキレイ。
    シートもゆったりして、新しそうで、90席ほどですが、想像していたより全然オーケー。
    いい映画館じゃん。

    上映中の注意のみで、無駄にながいCMは抜きに、『闇の子供たち』の上映がスタートします。

    エイズに冒され、けばけばしい毛布にぐったりと横たわる、幼女が画面に映ります。
    彼女の周囲には、おなじように小さな子ども達が、うずくまっています。
    女の子だけでなく、男の子もいます。
    子ども達がいる薄汚れた部屋が、売春宿だと理解するのに、やや時間がかかります。

    『エンコー』が社会問題になった真っ盛りに学生時代を過ごした自分には、子どもの人権に反する大人の買春行為は、高校生や中学生相手、というのが認識の限界で、まさかこんな小学生になるかならないかの、ちっこい子たちを対象に・・・・というのが、しょっぱなからショックで、息が苦しくなります。

    買春シーンがかなりでてくるので、どうするのかとヒヤヒヤしましたが、セックスシーンなどは、起きている事実をリアルに理解できるように、しかし子どもの人権はきちんと配慮されていて、そーゆう人たちがそーゆう目的に観ても、触れさせないようにしていて、それは最後まで一貫していて、作り手の人たちの真摯な姿勢を感じました。

    また、自分の中で考えさせられたのが、タイのNGO活動に参加しようとやっていた女性が、現地のNGO職員に「なぜあなたは、日本でせずに、このタイで活動しようとするのか」と問われるシーンです。(正確なセリフは忘れましたが、内容はこんなかんじ)
    日本にある貧困や社会問題に取り組もうとせず、海外にその場を求める、その裏側に「困っている国に対して、してやっている」という優越感はないのか?
    受け取り方にとっては、辛らつな問いかけですが、この映画を観る上でも重要な問いかけだと感じました。

    あと、自分的にポイントだったのが、「臓器を買う側」である、さとーこーちゃんち(注:佐藤浩市さん宅)に記者とNGOが取材に訪れた場面。←映画上のさとー家っす
    生きたまま心臓を移植される子ども達の現状をぶつけ「買うのをやめてくれ」と訴えるNGO職員と、「自分の子どもに死ねと言うのか」と叫ぶ、半年後に子どもが死のうとしている親。

    私はどこかで、「限界のある命を、人の命を犠牲にして永らえるのは、相手の命を見下していて残酷だ」、「だから、あきらめることも場合によっては必要なのでは」という気持ちがどこかにあるのですが、「すこしでも可能性があるならかけたい。生きてほしい」と願う心情を聞いてしまうと、スクリーンを前に動揺してしまいます。

    ここで問題になっているのは、『脳死し、提供に正規の手続きをふんだドナーの心臓』ではなく、『生きたまま心臓を奪われる、抵抗する手段も無い子ども』ですから、どう考えても犯罪。しかも「予備」として用意される子どもまでいます。

    まったく問題外だと分かっていますが、それでもやり取りの中でぶつかり合う、移植を願う親心には、やり方は別として、何か方法は無いのかと思わずにはいられません。
    「子どもの命をたすけたい」と願う親の希望がかなわない、日本のシステムは、やはり欠陥があると思うし、そこをどうにかしないで『あきらめることも場合によっては必要』というのは、ちがってるなーと感じました。
    それでも、殺人は殺人なので、やってはいけませんが。

    『闇の子供たち』には、対立するもの同士が、紙一重であることがあぶりだされます。
    虐待されたのち、NGO職員になる者と虐待組織の構成員として生きる者。
    子どもを買った過去に苦悩しながら、組織の壊滅を願う者と、ボランティアとして装おう裏で、NGO潰しをくりかえす者。

    勧善懲悪では説明しきれない、それぞれの矛盾した生き様が、突きつけられます。

    ストーリーは事実を下敷きにしている映画にしてはめずらしく、しっかりしていて、物語として中弛みせずに最後まで引き込まれて観ることが出来ました。
    「まともに社会問題を描けるのはドキュメンタリーだけ」という気分を久しぶりに打ち破る、映画館へ行ってちゃんとみれた『作品』でした。みれたどころか、衝撃を受けて帰ってきました~。

    子どもの字を『子供』と書くのは、『供』が『付き従う者』、子どもを大人の付属物や『供え物』と読めるので、教育者や福祉関係の人は、意識して『子ども』もしくは『こども』と表記する、と聞いたことがありましたが、その問題意識を前提するならば、まさにこの映画のタイトルは、人格を剥ぎ取られた『子供』として、象徴的にしめされていると感じました。

    横浜では、こういった有名シアターではロングラン上映されないようなフィルムをかける、ちいさなハコがポツポツあって、そういう地元映画館を見つけると、嬉しかったりします。

    『闇の子供たち』公式サイト→
  • http://www.yami-kodomo.jp/


  • 今回入ってみた映画館『横浜シネマリン』→
  • http://www.kanagawa-eiga.com/marine/marine.htm


  • 機会があったら、ぜひ行って観てくださいませ。














    【旅行時期】2008/09/21~2008/09/21
    【エリア】関内・山下・伊勢佐木
    【テーマ】歴史・文化・芸術
    【投稿者】きっちー

    悲しくも哀れで、それでいて、愉快なマダガスカル旅行(by isabonさん)

    前提
    しょぼくれたおっさんの、
    悲しくも哀れで、しかも、愉快なマダガスカル個人旅行(その不安な計画と実行)
    旅の経過だけ見たい人は、序章を飛ばして3から読んで下さい。

    期間限定で写真を下記に公開します。暇な人は楽しんでくらしゃい。
  • http://picasaweb.google.co.jp/isamusan.shimizu/bBWMbC#



  • 1、何故、マダガスカルか 若しくは、何故マダカスカルへ?の序章
    僕は元々、地球の果、土田舎のマダガスカルなんぞに行くよりは、イタリヤやスイスに行く方が好みである(我ながらかっこええなあ)。なぜなら、それこそ大変な決心と苦労の末に、その周辺には何度か個人旅行をして、土地感、交通網とか、どう身を守るかとか、特に食事は、どんな物をどのように注文して食えば良いのかとか、生きて行く上での、もろもろの事柄を習得して、異国のあれこれへの恐れも漸く克服し、かなり気楽に旅行できる状態になっているからだ。
    だが女房殿は、亭主のこんな苦労と、その結果得られた、かくも貴重な安心感を無視して、ただ一言、「同じ所に行くのは面白くない」、と、のたまわった。ひっ、ひどいなあ。
    そうして、悲しくも僕はそんな主張に唯々諾々と従う性格の弱いタイプで、女房殿の主張するペルーとか、ガラパゴスとか、個人旅行するにはかなり恐ろしげな国々の中から、まだ最も安全そうに思えるマダガスカルを選択することとなってしまったのだ。
    つまり、僕には、特にマダガスカルにこだわる理由はないが、やむを得ずマダガスカルを選んだに過ぎないのが実情なのだ。ようするに悲しい性の為せる業と言えるだろう。
    ● 素晴らしいおっさん、島泰三の本との出会い
    たとえ望まぬ場所であっても、行くと決めた以上は、目的地の事を可能な限りは調べるってことが僕の身上で、早速、マダガスカルのことを調べ始めた。調べる対象は、先ずは「地球の歩き方」で、後、「地元の図書館」とか「鉄鋼会館の旅の図書館」と、「インターネットの旅行記」を調べることになる。なお、その間女房殿はマダガスカルのことを全く調べる気もなかった。まあ、それはそれとして、最初にヒットしたのが、島泰三さんの、「どくとるアイアイと謎の島マダガスカル」って分厚い上下2冊の本で、これは地元の図書館にあった。で、多分、誰が読んでも判るのだが、内容文章共に素晴らしい本で、特に、その冒険の凄さに捉われてしまったのだ。
    てなことで、マダガスカルに行く気にはなったのだが、出来れば、飛行機で移動するような安易な旅でなく、乗り合いバスで行くような、そんな冒険旅行に仕立てたかった。がしかし、女房連れ、それもすこぶる口うるさい女房殿と一緒の、その旅の結果を考えれば余りに恐ろしくてそれもならず、先ずは偵察を兼ねてと、安易な旅行法の個人旅行に落ち着いてしまった。
    でもって、僕のマダガスカル旅行記が始まるのだが、このままずるずると文をつづっても、いつになれば終わるかの目途が立たない。であるからして、以後は他の人々の個人旅行の参考になる範囲の事柄を、出来るだけ簡単に記述することにしたのだ。

    2.個人旅行計画のポイントに関する序章
    ここんとこは、真面目に書いておきます。
    2-1 航空便の予約を行うことで、腹を決める。
     個人旅行計画を進めるにあたって、いろんな問題があるが、まあ大多数の人に取っては、その旅行計画途上での不安さをどう解消するかにあるだろう。これを解決する最も手っ取り早い方法は航空券を確保してしまうことだ。安売り航空券を確保してしまえば、腹が据わって、少々は気持ちが楽になるのだ。つまり、自分を追い詰めてしまうってことですね。別名、背水の陣とも言います。とは言え、むやみやたらに買うのはまずい。ざっと手順を書くと次のようになる。
    ① 先ずは目的地国内での移動、旅行計画を作る。なお、入国と出国の航空便が決まれば、それに合わせて日程の修正が必要になる。なぜなら、航空便が毎日ある空路はまれだから、便に合わせて計画を修正せざるを得ないからだ。
    ② 目的地国内で、移動が有る場合は、入国後、先ず一番遠くに行き、そこから入国空港に戻ってくるルートが望ましい。なぜそうなのかは、自分で考えろ。
    だが、いろんな理由でそうできない場合もあるのだ。
    ③ 目的とする国のどこの空港に行くかを決める。多くの便が有る空港への便が最も安いのは当然だろう。
    ④ 旅行検索の旅行案内で、安売り航空券を調べる、通常は6ヶ月先頃の便を売出している。
    売出しの前に、つまり、7ヶ月より前に旅行計画をするのが望ましく、売出しが始まったら、さっと買えば良い。う~ん、ちょっと遅れてもっと良いのが出ることもあるので、ここん所が難しい。
    出発日直前に値下げする事もあるから、普段から計画しておいて、値下げの時に買う手もあるが、その場合にはホテルは出たとこ勝負で、現地で探すことになる。スイス等の人気観光地では、直前のホテル予約は困難となる。イタリヤやスイスなら、僕はこの手で安く旅行できるのだけどね。(どうじゃ!かっこうええやろ?)でも、今回の結果からすると、ホテルの予約をせずに出掛ける方が良いのかもしれない。
    ⑤ 国内航空会社のエコノミーの座席は、何故か狭いようだから、避ける方が良さそうだ。これは何度か経験したが、長い飛行では実は非常に重要なことなのだ。
    これって、営業妨害やろか?勘弁してな。
    ⑥ 航空券発売代理店の信頼性だが、普段から旅行検索の旅行ページを見ておき、見慣れた航空券発売代理店を選ぶと安心だし、また、代理店が、その航空券発売以外に、どんな活動をしているかも調べれば、もっと安心できる。
    ⑦ 目的地がヨーロッパの場合は、南回りが遥かに安く、また、朝、目的地に着くメリットがあるが、長時間の搭乗と長時間のトランジットに耐えねばならない。が、BANGKOKでトランジットホテルまたは休憩所を利用する方法もある。
    ⑧ 航空会社によっては、毎日の運行でない場合があるから、旅行検索で航空会社が判れば、航空会社のHPで往路、復路の曜日を確認して、これに合わせて旅行計画を修正し、その後、代理店に見積もり依頼をすれば良い。
    ⑨ 従来、安売り航空券の場合は、出発2時間前にチケットを入手し、其の時に席も決まるのだ
    が、最近は代金支払いと同時に、発券される方式が増えてきた。席の予約はできないと、代理店が座席指定を断った場合には、そっと航空会社と直接連絡を取り、発券代理店を通しての席指定を可能としてもらえることもある。その回答を得て再び代理店と連絡すれば良い。貧乏個人旅行の不安を少しでも少なく出来るのだから、是非トライすることだ。
    なお、今回の代理店でのマダガスカル安売りチケットは、これも含めてうまく出来た。なお、座席の配置については、各航空会社のホームページに機材詳細として記載されているので、どの席が望ましいのかも調べることが出来る。こんな細かい情報も、今では簡単に入手できるようになっているのだ。
     だがなあ、うまいことが続くわけもない。入金も終わり、裏で手を回して座席指定も出来てから、帰国便のタイ航空が夏時間が終わったかして一時間早くなり、接続がまずくなって一晩をバンコックで過ごすことになったとの連絡があった。避難民じゃないんやからなんとかせい、と要求したら、空港には宿は無い、だからバンコック市内での宿泊を何とかするとの答えではあったが、わざとかどうか、なかなか回答もなく、もうええわ、バンコック空港は24時間空港やから何とかなるやろ、と自分から断ったが、インターネットで調べると空港内にトランジット用ホテルがあることが判った。ふん、口からでまかせか、とも思ったが、でもまあ、利益の少ない安売り個人チケットなら、こんなこともありますわなあ。でも、いくら安売りの個人客では利益が少ないからって、航空会社も代理店も、おもてなしの心がありませんな。NHKの朝ドラで勉強して欲しかったですねえ。
    ⑩ チケットを買う時には、ゆっくりと落ち着いて業者を決めましょうね。どんな場合も焦らないことが重要です。チケットが売り切れたら来年を待てばいいのだからね。
    ゆっくりと2,3社の金額と条件を確認してから購入しましょうね。でも、こう言いながらも、今回は僕は一社しかコンタクトしなかった。我ながら言うこととやることが全く違いますがな。わっはははは。
    で、マダガスカル往復とマダガスカル国内4回(実質3回)の国内便で合計24万円とは、かなり高価な航空代金になりました。女房と二人で48万円ですがな。トホホ、航空運賃だけでイタリヤ20日間の個人旅行が出来ますがな。KLMでの北回りでどうなるかも調べるべきやったかなあ。皆さんは是非工夫してね。
    2-2 宿の調査と、予約に関する序章
    ① マダガスカルにもなると、欧米圏とは違って、宿のインターネット検索は、殆どあてにならない。やはり地球の歩き方を基本にして調べるべきでしょう。でも、それも100%は信用できない。メールアドレスも違っていることがあるから、その場合はインターネットで調べることが必要です。
    ② 僕の失敗からすると、マダガスカルでは、欧米とは違って、宿の値段もふっかけてくるようだから、必ず値段交渉が必要なようです。更に判らないのは、予約を取ると、条件が最悪の部屋を充てるようです。しかも、部屋の予約日以外の、例えば、金額とか部屋の条件は殆どリセプションには連絡されていないようです。ですから、部屋の予約以外の条件を守らせるのは、現地到着時の大切な仕事になるのです。今度の旅での一例を示せば、フォートドーフィンの一流ホテルの場合には、僕の予約をしたのは、RINDRAって担当者なんですが、どうやらその人物はタナの事務所か代理店に所属するらしくって、予約金額でさえ現地のリセプションには伝わっていなくて、僕がRINDRAと予約したと言うと、現地リセプションの誰もが、RINDRA?WHO?って言い合ってました。ってことは、こちらも予約を守らなくてもいいってことですから、気楽ではありますね。
    ③ マダガスカルの場合は首都のタナ以外は、メールで徹底的に値段交渉をしましょう。でもって、現地に行って予約した部屋を見て、嫌だと思ったら別のホテルに行くか、予約条件はこうだと言って、部屋を変えてもらいましょう。値上がりしても、どうせたいした金額じゃあありません。
    ④ マダガスカルの場合、英語では返事が来なかったらフランス語で出しましょう。フランス語が出来ないなら勉強しましょう。会話は難しいですが、書き方は簡単ですからね。
    NHKなら、月350円で勉強できますからね。6ヶ月で書き方はマスターできますよ。
    ⑤ それと、インターネットで旅行記を調べると、意外なところに良いホテルがあります。例えばスイスのサンモリッツのホテルですが、観光地でとっても高いのですが、その近くのフィリズールには、駅の上に素敵なホテルがあるのですが、このホテルは鉄道マニヤの旅行記で見つけたのです。
    ホテルだけではなくって旅行記を見ているといろんな事がわかります。何度も読むことが望ましいですね。ついでに僕の旅行記(つまり、これ)も参考にしてね。
    前置きはこの程度にして、さて本題に入りましょう。










    3 悲しくも哀れで、それでもなお、愉快なマダガスカル旅行
    お待っとうさん、いよいよ本題です。(大阪人は、小さな“っ”が好きなんだってさ)
    2007年9月28日→29日からついでに→4日まで。
    南半球にあるマダガスカルは、この頃、春で季節的にも過し良い季節の筈だが、標高1400mの首都タナと、亜熱帯に属する海岸辺りの観光エリヤとで、どう気温が違うのか迷いに迷ったが、結論的に言うなら、首都では長袖で若干涼しい日と若干暑い日の間で、首都からかなり下ったペリネでも曇り加減で長袖でも若干涼しく、モロンダバとフォートドーファンでは半袖でちょうど良いって言うか、なかなか暑いってとこでした。つまり場所と曇り方で、かなり気温が違うってことです。ずっと晴天でペリネに入った頃に雲が空を覆い、パラパラっと雨がふることもありました。
    余談になりましたが、成田をタイ航空が16:55発、BANGKOK21:25着、ここで、マダガスカル航空は夜中の1:10発でした。3時間も待つのはつらいですが、これは仕方がないですねえ。BANGKOK空港の椅子が硬くてたまりませんでした。で、僕は我慢強いのですが、女房はぶつくさと、うるさくて仕方ありません。先に書いたように、帰路では夜中ずっとのトランジットですから、その時BANGKOKに着いて直ぐに休む場所を尋ねて判ったのですが、6階の奥の方にトランジットホテルがあって、有料ですが、宿泊とそれとは別に休憩も出来るようになってます。今後の機会には多いに利用できそうです。トランジットは各階とのエスカレータのある通路四辻を介して各階に行けるのです。で、2階にトランジットのチェックインカウンターは有るのですが2時間前にならないとチェックインさせてくれません。
    さて、首都ANTANANATIVE(略称TANA)への道は、BANGKOK発1時10分、TANA着7:55 時差4時間ですから、10時間40分の飛行なんですが、実は途中でレユニオン島のST.DENIS(サン・ドニ)に降ります。(火山島で非常に美しい島です)なお、この便は窓側2列ですから過ごしやすい飛行機ですね。(ちょっとトイレの数が少ないかな)
    で、TANA着で国内線に乗換て、14:55バオバブの木で有名なMORONDAVAに行きます。
    TANAでも長時間のTRANSITです。今回はTRANSIT時間が全般的に長すぎました。失敗なのか、この国ではやむを得ないのか?次に行く人は確かめてください。
    TANAでの荷物の受取りは機械1系列ですから間違えようもありませんが、出口で荷物番号を必ずチェックしますので、荷物券の準備を忘れては駄目です。
    空港は、向かって右が国際線、左が国内便で合計200坪ほど(ちょっと表現が大げさかな)のさびしい空港です。両エリヤ間には細い通路もありますが、外に出て移動しても大差はありません。特に、僕の着いたのが土曜のせいか、国際線の右端、つまり、国内線とは反対側の通貨交換所以外は全ての店が閉じていたので、この空港は、実になっさけない空き家状態でしたね。なお、他の旅行記に記載されているのとは違って通貨交換所は一箇所だけになっていました。交換率は、日本で調べたところ売り買い中間値15.9ARI/円のところが、売り15.1、買い15.9ですから、この交換所では買いを前提としない交換率です。つまり、ARIから外貨への交換をさせないような工夫をしてる筈ですね。で、僕の場合は、MORONDAVAからFORTDAUPHINへの移動でも、ここに立ち寄るので、4万円だけ替えたのですが、70.4万ARIを受取ました。1万ARIの紙幣で10枚をホッチキス止めしたのを7冊と2千ARI2枚をくれました。細かくして、と頼むと、一冊を返して、5千ARI10枚のを2冊くれましたね。紙幣のホッチキス止めにはショックを受けますが、なかなか便利なものです。ちなみに、1円=15.1ARIってことは、1000ARIでほぼ66円ですね。
    僕の後からに30歳程度の日本人が10万円を交換したらしいのですが、札束の大きさには苦労したでしょうね。米ドル、EURも、この国ではここでの交換比率がベストのようです。後は街のブラックマーケットですが、それについては、あまり経験しませんでした。
    旅行記によると、国内線チェックインは離陸直前の受付で、それも我先の修羅場で、乗り残しも生じるってことで、心底、恐れていたのですが、かなり時間はあったにも拘わらず、国内線はチェックインを受け付けてくれたのです。どうなることかと、かなり心配していたのですが、今回の経験では、国内線は全て遅れも無く、どういうわけか、早く出発する時さえあって、チェッキインも粛々とやってくれました。それに、MORONDAVAのマダガスカル航空事務所では国内線のRECONFIRMを全部やってくれました。
    ちなみに、タイ航空はRECONFIRMを必要としません。
    空港での時間潰しですが、空港を出れば道の向こうに田圃がありますし、国際線2階には、軽食エリヤと、その奥にレストランもあります。何でも安いから心配しないで食べましょう。なお、スパゲチィーとかオムレツはレストランではなくって軽食エリヤです。それと、この国のレストランではスープってええのを重視していない傾向がありますね。ちょっとさびしいですね。
    なお、国際線のトイレには、小母さんが出勤してきて金の奉仕を要求することがありますが、小母さんが居なければ無料です。国内便は誰も居なかったですし、この国で便所代を要求されるのはここだけでした。
    自由席ながらも、皆さん粛々と滑走路を歩いて乗機しましたが、やはり旅行記で脅されていたのか、若いフランス人が最も焦っていましたね。他方、せっかち日本人と言えども、年寄りの僕等夫婦はそれなりの威厳がありますんで、現地人障害者を介助しながら乗機しましたね。それでも、窓際にちゃんと座れましたよ。
    窓から見る風景は、赤茶けた乾燥地が殆どの、広大な大地でした。MORONDAVAに近づくと緑が増えてきましたが、まだまだ乾季って感じでした。その中に大きな円形の緑の農園が見えました。多分これは給水装置が設置された農園でしょう。GOOGLE地図で見たものと同じです。着地体勢になったころ、まっすぐな道に沿って、まばらではあるものの、延々と並ぶBAOBABの木の列が見えました。思ったより多くのBAOBABの木ですが、その眺めは壮観なものです。なお、機の右翼側によく見えます。円形の緑は左翼側です。
    空港はTANAよりも更に小さく、荷物受取りは、荷物券番号を読み上げて受取るのです。
    受取室はガラス張りの部屋で、迎えの現地人が紙に名前を書いて押し付けています。で、そこに外人の名前と一緒に2人の日本名が見えました。僕の場合はBAOBABカフエーって町一番のホテルを予約したのもののTAXIの予約をしてなかったから、よそ見をしていたのですが、目が良く、目ざとい女房が、名前があるよ、と言ったのです。紙を持っていたのは、日焼けした日本人を更に2回ほど日焼けさせ、若干、目のくぼんだ愛嬌のある、黒いTシャツの男で、後で判ったのですが、BAOBABカフエーに出入りするPATRICKって男で、結局この英語の判る男にはいたく世話になりました。なお連絡取りたい方は僕に問い合わせてください。若しくは、MORONDAVで、TAXIのPATRICKって聞けば判るような気がしますけどね。
    彼の車はクラッチ操作の普通乗用車で、舗装が徹底的に老化したがたがた道を、ハンドルを右に左に、また右に、若しくは更に左、左、あかん、戻して右、って具合に、たゆみなく操作してくぼみをさけて行きます。(それほど、首都周辺以外の道は酷いのだ)
    いくら払えばええのだ?と聞くと、「10,000ARI」と答え、次いで「ガソリンも上がっているから」と、なぜか弁解した。後で分かったが、ホテルの各部屋のドアーには、空港への送り迎えは6,000ARIと書いてあった。(地球の歩き方では10,000ARI)
    「明日はどうするか?」と聞くので、明日は海辺を歩き、明後日はBAOBAB街道に行きたいと言うと、私の車で行けと言う。いくらだと聞くと、キリンディーから色んなバオバオを見て160,000ARI、バオバオとメナベ公園半日だと80,000ARIと言うので、明後日はキリンディー、その翌日は夕刻の半日に行くと答え、これで、最も心配していた、ここでの足は全て確保できたなあ、と考えた。
    これも後で判ったがホテルに頼むと4駆での観光で、それぞれ310,000(入場料、ガイド込)160,000って、ドアーに書いていた。4駆の幅だと、この凹凸道は避けられないから、乗り心地はPATRICKの乗用車よりは悪いだろうし、入場料やガイド料を入れてもPATRICKの方がかなり安くなる。
    でも、他のホテルの値段は判らないので、皆さんは予約時に聞くべきでしょう。高ければPATRICKにメールしましょう。
    でもって、両側が干潟の道を進み、ついで人ごみだらけの市街地に入り、海辺に突き当たり、これを左折して砂だらけの道を進むと、ネットカフエがあり、更に行くと、地球の歩き方とかインターネットで見掛けたいろんな宿の並びがあって、そのまま少し行けば、この町一番と言われるBAOBABカフエーがあったのです。実は、その奥にTRECICOGNEってホテルが最後にあり、このホテルは一見、ボロ屋なんだが、ベランダでフランス人がごろごろとアザラシのように背中を焼いている。だから日本人も泊まれる筈だが、フランス人って、宿泊での要求度が少ない民族らしいから、保障の限りではない。
    写真通りブーゲンビリヤの茂るホテルにチェックインしたが、部屋は2階の9号室であった。部屋には川側に窓が一つで、ダブルベッドが一つと、余分な小型ベッドが一個あった。
    インターネットの予約では、TWINで130,000ARIだったが、ドアーに、各部屋の価格が載っていて、9号室は予備ベッド付だが、ダブルで90,000(予備ベッドも使う場合は+19,000)となっている。ふ~ん安い部屋にしてくれたのか?でも確認しなくっちゃと、リセプションに行って、部屋の値段を聞くと90,000ARIと答えたので安心して荷物を広げた。
    でもこれが失敗で、二日ほどして他の部屋を見ると窓が2方向にあり明るい。でも、もう荷物を広げ過ぎたので、他の部屋を要求する気力はなかった。これで気づいたのだが、個人客で予約していると悪い部屋を割り当てるのがこの国の常識と思うべきなのだ。
    それに、このホテルは、少なくとも僕らの泊まった9号室は、とても小便くさいのだ。欧米人については判らないが、日本人には余りおすすめでは無いようだ。
    更に話は先になるが、出発前日4泊目の夕方に清算しに行くと、今まで顔を出したことのないチーフなる男が出てきて、あんたの部屋はTWINで予約された筈だから90,000では駄目だ、と言い出した。僕は思わず「この部屋は普通はダブルって言うもので、しかも、9号室は、窓は小さくって薄暗く、小便くさい」と怒鳴りつけた。チーフは何かブツブツ言っていたが、予備のベッドは使っていないか?と尋ね。僕が使っていないと答えると、それならいい、と答え、結局90,000ARI/泊で済ませることが出来た。BAOBABカフエーは、団体客や旅行会社からの予約客には、定価150,000ARIの広いTWINを割り当てるとか、日本人より白人を優先するような、おもてなしの気持ちが少ないと言うか、全く無いホテルであった。
    (経営者はフランス人だから、フランス人には、こんな扱いはしないでしょうね)
    それに食い物がまずかった。フランス人が泊まるからと、それに海辺だと期待したのだが、どこで食っていける僕でさえ、その臭いと外観を見るだけで腹がいっぱいになってしまった。グリルの魚は表面がまっくろに焼けて、しかも、おもいっきり臭いし、大きな海老は冷凍物なのか古いのかのどちらかであった。それにゼブ肉は、歯の悪い僕には余りにも硬くて歯が砕けるのでは無いかと恐怖を感じた。但し、ゼブ肉はかみしめればかみしめる程、味の出るのは事実である。更に加えて、インド米はうまみが無くって食えないと女房は言う。そんなこと言ってると生きてゆけない、無理してでも食わないと駄目だと言うのだが、女房は拒絶反応になっている。こんな具合で、持参したラーメンを活用し、近所のイタリヤ料理店でピザを食べたりして、何とか過ごすことになったのである。なお、食い物がこんな有様だから、女房の機嫌は一気に悪くなったのである。
    女房に言わせると、要するに、油が悪く、しかも、油の量が多すぎで、ソテーやグリルで臭いを消す工夫とか、材料の吟味とか、話にならんってことらしい。あきまへん。
     さて、支払いの問題だが、僕の場合、過去の海外旅行で残したEUR、ドルも持参していた。そこで、ドルで払えるのかとキャッシャーに聞くと、1,600ARI/ドルとのことで、TANAの交換所での1,770ARIに比較して余りにも低い。そこで、PATRICKに相談すると市内の信用できそうな人を紹介してくれた。その人は1,800ARIで交換してくれたので、多いに助かったのだ。
    ホテルは最悪であったが、PATRICKのおかげで、キリンディーでは、シファカ、茶色レムール、夜行性のSPORTYレムールがくぼみに居るのさえ見られた。ただし、休憩所のちょっと向かいにある、どのトイレにも、体長30cm以上のトカゲが、蠅を狙ってか居座っていて居て、追い払おうとしてもジロッと睨み付けられるので恐ろしい、ここでトイレに行く人は気をつけよう。
    色んな動植物を見せてくれるメナベ公園もなかなか面白いが、受付と言うかガイドの爺さんは、なかなか見事な英語と広範な知識を所有していて、最後にチップを要求したが、損をした気にはならなかった。むしろ彼の知識に対してチップをあげることさえ気の毒であった。
    それでもやはり、最も凄いのはBAOBAB街道であった。林立する巨大なBAOBAB列のその向こうに緑の木が遥かかなたにあり、そこで子供達や牛舎がある風景は、何度見てもあきない風景だし、街道横の、ほてい葵の花が咲く池の向こうから夕日に陰るBAOBAB列を見る風景は、これもまた現実とは思えない風景であった。大型双眼鏡を持参したが、その努力が一気に報われたのであった。そうそう、夜空も凄かったですね。あんな星の連なる空は、バングラデッシのチタゴン河を越える船から見て以来でしたね。星の観察でも大型双眼鏡が威力を発揮してくれました。
    PATRICKの薦めるキムナビーチにも行ったが、ここは海岸林の連なるビーチを開発したものの、開発の意味が理解できないビーチであった。
    更に、考えるには、MORONDAVAでは、ツイギーに行かない限り4泊実質3日がベストのスケジュールと思える。ツイギーに行く場合は、もっと安いホテルに連絡して安く行けるように工夫すべきだろう。(高いホテルはツアーも高くなる傾向があるのだ)なお、BAOBABカフエーは、セスナ機のアレンジは「一機まるまるの予約」以外はアレンジしてくれないので、4人ほどのグループでないと高価になり過ぎる)

    かくして、MORONDAVAの旅を終えて、PATRICKの車で空港に向かったのだが、彼自身の車は所用で使えず、彼の親戚の人の車で空港に向かった。車は不調で、国道2号からの分かれ道でエンストを起こしてしまった。時間は充分にあるので、この難関をどう処置するのかと、道端に店を開いた鍛冶屋のおっさんの横にあったベンチらしきものに座って眺めていた。
    だがさすがにPATRICKである。エンジンの過給機の蓋を開けて、どこか近所からペットボトルに入れて持って来たガソリンを注ぎ込み、エンジンを起動すると無事、動き出した。なぜ、エンストしたのか、どう修理したのか判らぬまま、車は動き出したのだが、その交差点から100mも行かぬ場所が空港であった。歩いても行けたのだ。
    空港では直ぐにチェックインできて、レストランでオムレツとポテトフライを妻と分け合ったが、これがMORONDAVAで最もまともな食事に思えた。なんか、情けない話ですがね。そうこうしている間に、飛行機は30分ほども早く出発した。なんで?なんで?

    なお、PATRICKに、僕がTANAでペリネ公園に行くと話していたのだが、彼も家族を連れてTANAに行くので、そのついでにPERINEに連れて行けると言ったのだ。いくらだ、と聞くと200,000ARIって言うので、それは是非とお願いしておいた。この国ではなんでも無茶苦茶安いのだ。PATRICKの乗用車ではなく、タクシーブルースで行けば夫婦往復で10,000ARIで済むのだが、女房の機嫌を考えれば、そのようなことは出来る筈がなかった。
    でもまあ、15,000円で、車と運転手を借り切り往復300km2日の旅が可能なのだから満足そのものですよね。再び友人と来る時があれば何としてもTAXIブルースに乗り、これを700円で旅行したいものだ。

    2007年10月4日→5日からついでに→9日まで。
    予約の時に、MORONDAVAからFORTDAUPHINの直行便は少なく、座席が取れないことが多いと言われ、MORONDAVAからTANAに行き、翌日TANA発FORTDAUPHINとしたのだが、MORONDAVA空港で時刻表を見てみると、FORTDAUPHIN行きも充分にあるようなのだ。何でこんなことになったのか理解不能だが、直行できていれば、最低1日は短縮できて、飛行機便の時間からすると、更に半日は短縮できたのだ。

    とにかく、TANAに着いて、HOTEL CHEVEL BLANCO(つまりホテル白馬ですね)の空港送迎バスを探した。空港建屋を出ると、TAXI運転手がいっぱい寄ってきて、「どこ行くんだ?」と聞くので、HOTEL CHEVEL BLANCOだ、と答えると、「ああ、それは駄目だ、あのホテルは潰れた。俺の車に乗れ」などと言い出した。が、無視して待っていると、ホテル名のカードを持ったおっさんが来た。荷物を自分でひっぱって行こうとすると、胸に白いワッペンを着けたおっさんが、すっと近づき、僕と女房の荷物を引き、先に立った。すると、もう一人が近づいて、2つの荷物を二人で別けて運びだした。てなことで、わけのわからん内に、二人にチップを払わねばならんことになった。今後の教訓としては、荷物は他人に渡さぬこと、たとえ渡してしまっても、最初の一人にチップをやり、その男が荷物を分配しようが、それは責任外とすることだと心に決めた。
    この国には、乞食が殆どいないが、その分、油断も隙もない。だがしかし、子供たちまで含めてなんとか頑張っている。例えば、MORONDAVAの海岸では、船が着く頃を見計らって家族一族が海岸に集まり、どんな小さな子供でも漁の道具の一本でも頭に乗っけて運んでゆく。少し大きな女の子は、岩塩をまぶした大きな魚を頭に載せて市場に持って行く。おかげで僕たちは、塩辛すぎるグリル魚を食うことになるのだが、そのことは、ここでの本題ではなくて、彼らは老いも若きも幼きも、みんな一生懸命に生きているってことですがな。だから僕は、僕のために荷物を運ぶべく白いワッペンであたかも空港職員であるかのように装おうとも、僕の荷物を運んだ連中には、ふとっぱらにチップを与えることに決めたのだ。その趣旨に沿って、ホテルの枕銭にも、絶やさず1ドルを払い続けたのだ。
    ところでチップの問題だが、この国ではチップ制度はあまり無いようだ。少なくとも、ホテルで食事をする場合は、部屋にチャージしてくれと言えばチップは不要である。でもまあ、丁寧に気分良く応対してくれるなら遣っても良いだろう。僕の場合は、1,000ARI(66円)は気前良くチップであげた。一生懸命働く奴にはあげても良いだろ?

    ホテルは空港近くの、市内に向かう道路に面する、なかなか外観も良く、簡潔な部屋だが、トイレ臭くなく、35,000ARI/泊でBAOBABカフエよりも住み心地が良かった。
    ところで、胸のポケットにBAOBABカフエの9号室の鍵があることに気づいたので、レセプションのおっさんにBAOBABカッフエの電話番号を示して相談すると、5000ARIよこせと言って、外に出て行った。暫くして、プリペイドカードを買ってきて、電話を掛けて、
    「誰かが鍵を取りにくることになった。全てこれで完了」とプリペイドカードを破り捨てた。ことが完全に終わったかどうかは知らないが、僕の責任はこれで終わったのでほっとした。気分のええおっさんではないか。
     ホテル内には、旅人の木とか、珍しい木が並んでいて、外に出て右に行くと直ぐに横道があり、ホテル外壁に沿って下って行くと、木炭製造所とか、軒下小売店とか、軒先商店とか、なかなか興味深いものがある住宅が続き、更に下れば周囲に畑のある広い池があった。僕としてはそこまで行きたかったが女房が嫌がったので諦めた。
     さて、食事だが、ここの食事はBAOBABカフエよりはましで、しかも、僕たち二人で一人前を頼み、それを二人で分けるってテクニックもマスターできたので、なんとか生命を維持できるようになった。FORTDAUPHINへの便は翌日午後で、朝食を食べてから、昨日の夕食分も一緒に勘定するとレストランで言うと、ウエイトレスは、宿泊費も一緒に勘定書きを持ってきたので、僕は混乱してしまった。話を良く聞くと、レストランのキャッシャーは、ホテルのキャッシャーを兼ねているらしい。それに、それとなく感じたのだが、レストランのキャッシャーの中国系マラガシー(マダガスカル人)は、このホテルのオーナーでもあるらしい。愉快で気持ちの良いおっさんである。

     翌日5日は、午後3時発で、直行便を使わなかっただけで半日以上は損したことになる。
    ボーディングカードには、座席番号が記載されていて、この国では珍しく指定席の便と思えた。それにこの旅では珍しくも日本人ビジネスマンが3人ほど乗っていた。
    機内に入り両側3列の窓側2席につつましく座っていると、現地人が一人、通路側の席に座った。そのボーディングカードによれば、彼はその席ではなくて、向こう側の通路側なのだが、そこにはフランス人が大きな態度で座っているのだ。そんな様子から判断すると、結局、この機は自由席で、皆さん勝手きままに座っているのだと判った。
     機は人跡の殆ど無い東海岸に沿って広大な原野の上空を南下して、無事に目的地に到着した。降りるべく機内で並んでいると、ビジネスマンの一人が声を掛けてきて話したのだが、港の岸壁工事を請け負っていて、窓から遠くに見える巨大な採石場で花崗岩を切り出し、これを港に運んで突堤を築いているらしい。チタンの採鉱会社から受注したもので、元請は350億円もの巨大な工事とのことだ。何か困ったことがあれば相談してくださいと、さすが僻地の日本人同士、心強い助言の声が掛けられた。
     ここでは、最初の二日は、町一番のHOTEL LE DAUPHINに、インターネットで、55EUR/泊にて予約している。2日後には日本人ガイド付きでベレンティー保護区にツアーも予約している。日曜だが大丈夫かと何度も問い合わせたが、その問合せを無視してRINDRAって担当者が、僕のツアーを日曜にセットしたのだ。 
     迎えの車は頼んでいないし、TAXIは少ないのでどうなるかと外に出ると、LE  DAUPHINの看板を持ったおっさんが居たので尋ねると、荷物はこの車に、あんた達はあのバスに乗れってことで、バスに乗ったのは我々夫婦だけだった。日本人ビジネスマン達は荷物はLE DAUPHINNの車に乗っけて、自分達は事務所からの迎えの車に乗ったようだ。ここにはPATRICKのような男はいないようだが、少なくとも送迎費は無料らしい。なんせ、宿泊費が高いからね。(夫婦で55EUR=9,000円だけんどね)
    空港から市内への道路はMORONDAVAよりは良く、先に出た荷物車が、ある建物の前に止まっていた。バスの運転手は、荷物車の運転手に何かどなっていたが、どうやら、僕らの荷物は別の場所だと言っているようだ。僕らのバスは少し進んで、別の建物の前に止まり、一度は降りたのだが、小母さんが出てきて、貴方達は向こうだと、荷物バスの止まっている所を指差した。
     後で判ったのだが、僕らの部屋はLE
    DAUPHINと同系列で、新築で横に建てられたLE CROIX DU SUDであったのだ。結局、ビジネスマン達と同じホテルであったのだが、運転手は僕の風体からてっきる旧館に泊まる人種だと考えたのだろう。
    リセプションに行くと早速、部屋に案内された。でもって部屋に入ると、案の定、ダブルベッドである。僕らはTWINで予約している、と言うと、奥にある長椅子の上に置かれた寝具を指差して、あれがあるのでTWINだと言う。BAOBABカフエーと同じパターンですな。で、これは世界標準ではTWINでは無い、と言うと、困った顔をして、他のTWINの部屋はいっぱいです、と答えた。つまり、予約の個人客は最悪の部屋に割り当てるってパターンですな。
    TWINでないと駄目だ、と言うと、暫く考えて、「高い部屋ですが、見ますか?」と言うので、見る、と答えると、2階に連れて行った。なんと中二階の部屋で、各階に大型ベッドの置かれた凄い部屋であった。この部屋はいくらか?と聞くと、50EURと答えた。なんのこっちゃ、予約金額より安いではないか。で、「It’s no problem」と答えると、美しい受付嬢が驚くような表情を示した。で、とにかく予約より安い金額で、想像以上の凄い部屋に泊まることになった。
    更に受付嬢いわく「それで、貴方は明日ベレンチィーに行くのですね?」と聞いた。
    「いや、予約を受付けたRINDRAさんが、明後日の日曜日がベストだと言うので明後日」
    「RINDRA?WHO?」
    で、僕も「インターネットで予約を受けたあんたの会社のスタッフだ。RINDRA、WHO?」
    ってことで予約を受付けた人間が誰かが全くわからないまま話は進んだ。いずれにしても、「日本語を話すガイドも予約している」と言った。
    では調べてくると、受付嬢は去って行った。
    本件についての、その後の経過を先に述べると、ベレンチィーへ行く日曜の前日、つまり土曜の夕刻に受付嬢が来て、日曜には日本語が出来るガイドは忙しくて対応できないと言う、それなら予約金額は減額されるべきだと言うと、本館のキャッシャーの所に連れていった。
    で、本館のキャッシャーが、いくらで予約したのかと聞くので、正直に190EURだと答えてしまうと、その金額でしかどうしようも無いと、減額には全く応じなかった。
    結局、予約日だけが連絡されていて、ツアーの日にち、ガイド条件、予約金額を含む条件が全くホテル側には伝わっていなかったのだから、そこで金額を低く言っても何ら支障はなかったのだが、誇り高い日本人としては嘘を言えないのが致命的であった。だが、宿泊代金で2日分10EURを儲けているので、まあいいか、と諦めた。
    それにしても、キャッシャーですら「RINDRA WHO?」と言っていた。わけわからんですな。翌日、英語を話すガイドと一緒にベレンチィーに行ったが、観光客は殆ど居なかった。つまり、日本語を話すガイドには僕の予約の話について何の連絡もなかったので、日曜にガイドするのを拒否したってことなんでしょうね。インターネットで予約時に、「僕は3日間の余裕があるから、どの日でも良い。RINDRAさんの薦める日曜日はまずいのではないか?」と何度もメールしたのだが、RINDRAは全く無視したのだ。しかも、日曜日には、ベレンチィーの麻工場も、博物館も全て休館だったのだ。観光会社SHTMに高い金を払って、詐欺に会ったようなものである。で、教訓としては、マダガスカルでは、予約はしても守る義務は全く無い。宿の部屋を確実に確保してから、現地で金額を含めて全て組みなおすことが必要、ってことですな。
    それでRINDRAってえのは、首都に居る代理店の人間らしく、現地と連絡もせずにインターネットで勝手に予約を取っているらしい。なんのこっちゃ?
    翌日土曜日は、朝食後(宿泊費は朝食込みでした。もうけたですね)、AIR FORECE SERVICEの事務所に行き、明後日から2泊のNAHAMPOANA  LODGE予約を確認した。ここでも16EUR余分にとられちゃったが、予約の内容把握はきちんとしていて、SHTMの詐欺よりはましであった。
     結論的に言うなら、片道3時間のベレンチィーに行くよりは、車で30分のNAHAMPOANAに行くほうが良いだろう。金額的には、両方とも2泊で、見ることの出来る動植物は殆ど変わらないが、所要金額は。ベレンチィーのSHTMは290EUR(朝食込み)、NAHANPOANAのAIR FORCE SERVICEは、146EUR(朝食、夕食込み)だから、一方的にNAHANPOANAが有利である。但し、後述のようにホテルはSHTMが格段に良好である。だから、ベレンチィーに行かないとの前提で、両者を組み合わせるのがよさそうだ。
     ところで、帰ってからSHTMのHPを調べると、(
  • http://www.madagascar-resorts.com/pages/Tarifs.html
  • )僕の泊まったmezarinの部屋は一泊61EURらしい。宿泊に関してはかなり得をしたので、ベレンチィーtourの詐欺は許しましょうね。だが、この調査から、僕の予約はいったいどうなっていたのかいよいよ、混乱ですわ)
     NAHANPOANAとの予約確認を終えてから、半島をぐるっと歩いて回ることにしたが、半島東岸は激しく風が吹き荒れていた。で、地球の旅に掲載されている写真と同じビーチの上を通り、西岸のリバヌナビーチに着いた(これも写真が掲載されている)そこで美しい海岸を楽しんでから近くにあるレストランMIRAMAR(旅行記に書いてあった)に行った。このレストランはMIRAMARUって地区にあるので、その名がついているのだが、行ってみると改装閉館中であった。で、東岸近くのPETIT BONHEURに行こうとしたのだが、逆風で砂が顔に突き刺さり痛くてたまらない。仕方なく途中であきらめ、リバヌナビーチの上にあるレストランに行った。
    あまり期待していなかったのだが、この国で始めての、薄味海鮮料理に出会い、女房も多いに満足となった。女房の喜びは僕の大喜びである。
    翌日、ベレンティーへの道が悪いので7時には出発するとの受付嬢の話であったが、車とガイドがホテルに来たのは7時半であった。この国では、そんなもんさ。
    で、往復6時間で何を見られるかは、地球の歩き方の通りです。レムールとしては、シファカ、ワオキツネザル、ブラウンキツネザル、でした。
     4駆での走行は、PATRICKの車とは違い、悪路の凹凸を逃げ切れない。そのため、ドンドコドンドコと車は上下しての走行で、女房は完全に参ってしまったが、ガイドのBENでさえも同様にへばってしまった。帰る途中では翌日のNAHANPOANAでレムールに与えるバナナ(1房400ARIを2房)を買ったが、僕も味見をして、運転手とガイドに1本ずつ別けた。が、しかしガイドは食べれなかった。なお、女房はこの往復で相当のダメッジを与えられた。女房の苦しみは僕の大苦しみである。
     ところでガイドのベンは、北部出身でTANAで働いていたのだが8ヶ月前にFORTDOAUPHINに来たらしい。雨季にタクシブルースで来たので、普通は2日で来れるのに一週間掛かったよ!と道の悪さを嘆いていた。やはりこの国には雨季には来ない方が良さそうだ。
     ホテルに帰り、NAHANPOANA LODGEからの迎えを待ったが、約束の5時をかなり過ぎても来なかった。と、受付嬢が、本館の前に止まっている車がAIR FORCE SERVICEの車だと言い出した。行ってみると、運転手が座席でねころがって眠っていた。あれほど別館だと言っておいたのに運転手には伝わっていなかったのだ。早速、別館に行き荷物と女房を乗せて出発した。車は東岸にでて、本道を外れ北上して、とても感じの良い村々を通りすぎて、長い園内引き込み通路をへてLODGEの庭に着いた。
    庭を前にしたLODGEには、平屋の建物があり、長屋状態に横並びの部屋が4室あった。横の丘の上の方にレストランが設けられていた。数人の現地人からオリエンテーションを受けてから、左端の部屋に案内されたが、部屋の中は何故かほこりだらけで、試しに電灯のスイッチを入れると火がつかない。で、直ぐに他の部屋にしてくれと、部屋を順番に見て行き、もっともましな左から2番目の部屋にした。女房と、ここに泊まる人なんて居るのかな?と話しながら荷物をばらしていると、車が着いて、欧米人がぞろぞろとやってきた。で、電灯の着かない部屋はスイス人夫婦で、蛇口が壊れているとかの他の部屋にはイタリヤ人が入った。早いもの勝ちの勝負に勝ったみたいなもんですね。なお、二日目からはメイドが入って、部屋の掃除は完璧になった。
    当日の夜と翌日の朝に、ゴーシェって現地人ガイドの案内で公園内を楽しんだ。目の良い男で、ベレンチィーと同じレムールに加え、夜行性のカメレオン、ホタル、マウスレムール等を見ることが出来た。非常に有能なガイドであった。
    朝と夕方に、シファカ、ワオキツネザル、茶色キツネザルがロッジの周囲を巡回して、バナナをやると僕の体にまで登ってきて、手からバナナを食べてくれた。それに、ガイドの案内なく、森をうろつきレムールを楽しむこともできたのです。ベレンチィーとは比較できないくらいに面白かった。最高ですよね。
    LODGEの裏手には、マダガスカル星亀の広い檻があり、ここに入ってバナナを引っ込めた頭に近づけると、ゆっくりと頭が出てきたのだが、突然、凄い速度で首を伸ばし、バナナにくらいついた。亀の口はバナナだけではなくって僕の指も挟んだがペンチの様な怪力でイテテテと逃げた。亀に噛まれるような頓馬な僕でした。
     朝夕食は、丘の上のレストランで定食ですが、ここの夜も降るような星の夜空でした。

    2泊して9日の13:00にTANA向け便に乗るのですが、ちょっと早めで10:00から10:30に出発したい、と現地人マネージャーに言うと、送迎車の出発は9:00だと言う。何故9:00なのか?と問うと、とにかく9:00だという。わけわからんが、早く行くのは問題ない、まあええかと、翌日車を待ったが、9:00を過ぎても全く来ない。現地人マネージャーは外人と一緒に森を散策中ってことで、誰も事態を把握していない。敷地の外にパーキングがあるとかで、長い引き込み通路を行ったり来たりしたが、車の陰も姿もない。表通りに出てTAXIをひらうか、と考えた時になって、来たときの車が入ってきて、庭に止まった。中からフランス人の老婦人と若い婦人が出てきて、「運転手は悪くない、私が遅れたのだ」と弁解したが、僕は充分に時間はあるので問題は無いと答えた。そんな所に、のこのこと現地人マネージャーが森から現れ、僕の怒りは一気に爆発した。どんな風に爆発したかは書かないが、実は、この公園のオーナーはインド人で、彼とは前日に知り合い、いろんな話をしているのだ。まあ、いいや。
    いずれにしても、この国の人は、約束が遅れるものとして時間を決めているのだが、時間が遅れるのは僕の方ではなくて時間を決める側なのだから、予定時間を早めても何の意味もないのだ。それに気づかず、いつも遅れる側が時間を早めようとするから、約束を守る僕としては、設定時間根拠を充分に確認しておくことが必要なようだ。但し,PATRICKは常に時間前に現れている。人によっては正確安全な男もいるのだ。後述するTANAの運転手MAXは時間丁度に来ようとするので、何かが生じると遅れることもある。
    空港に着きチェックインすると、航空会社からサンドイッチと飲み物が振舞われた。(この空港だけです)
    もう慣れたタナ空港に着き、荷物を持とうとする連中を振り払いつつ外にでるとタクシーの運ちゃんが寄ってきた。どうせ偽物だろうがTAXI価格票を示し、HOTEL SHANGAIまでは40,000ARIだと言う、NO! 20,000ARIだと言うと、30,000ARIだと言う、面倒になってOKと言ったが、後で考えると、ここでは25,000と答えるべきだったのだ。
    美しい田園地帯とごちゃごちゃの街と、それに、丘を何度も越えてかなりな距離を進み、ほこりっぽく人であふれる市内に入り、小一時間でホテルに着いた。ジャガランタの紫の花が色ずく時期であった。
    ホテルでは、空港ホテルと同様に、予約を充分に認識していて、さっささと予約通りの部屋に入ることができた。空港近くのホテルと同様に、TANAでの予約は堅実、確実なのだ。しかしながら、良き中華料理店との評判は誤っていたようだ。これが女房の機嫌を一層悪くさせてしまった。中華風チャーハンは香草で臭く、スープもごちゃごちゃと複雑な味だった。やれやれ。あきまへん。
    リセプションからPATRICKに電話してもらうと、彼は結局、TANAには来れなかったのだ。でもって、女房がこの状態では、ブルースTAXI(乗り合いTAXI)でペリネに行くのは難しい。対策を考えないと、と考えた。
    10月10日
    ぶ~ぶ~言う女房をなだめつつ、坂を登り登り女王宮に登り、その先の展望台を過ぎたところから階段道を降りた。この道は島泰三さんの下った道であり、なんとしても降りたいと思っていた道なのだ。急な階段を降り切り、自動車道を暫く行くと、そろそろ不満の限界にある女房を連れて、漸くチンバザサ公園の壁に達した。壁に沿って、200m程度下ると公園入り口になっている。ここで、アイアイを見るには、ガイドを頼むか、池の右上の建物で警備員にチップをやって入るかのいずれかである。夜行性レムール建家になんとかたどりついて、まっくら闇の中でペンシル型懐中電灯を点けて夜行性レムールとアイアイを見ることもできた。この公園を満喫してからTAXIでホテルに帰った。
    昼食後、独立大通りのマガカスカル航空を訪れて帰国便のRECONFIRMしたが、朝7時の出発に対して、チェックインは朝4時にしろとのご説明であった。またまた訳のわからん時間の勝手な指定で、そんな筈はないと追求すると、at least 5時と訂正した。なんで、そんなに時間のカマをかけるのかなあ?と、この国の習性にあきれるばかりだった。
    先の話をするなら、結局この出国便は45分も遅れて出発した。これもまた、遅れが僕のせいではなくって、時間を決めた側のせいだって良い一例ですね。
    RECONFIRMを終えてから、ひとつ手前のビルの2階にあるMADAGASCAR AIR TOURを訪れた。日本語スタッフは居ないかと聞くと、地球の歩き方に記載とは異なり、居ないと答えたが、どうぞと品の良い現地人婦人が対応してくれた。
    ペリナツアーの費用を尋ねると、2日ツアーで自動車運転手で47EUR、ガソリン、ホテルは別で、ガソリンは判らないが80,000ARIから120,000ARIだろうと言う。頼むなら明日再び来ると言って事務所を離れた。ホテルに帰りホテルのリセプションでペリネツアーを頼めないかと聞くと、現地人レセプションは運転手を夜来させるから直接話してくれとのことで、6時に会うことにした。更に、女房殿はホテルに置いて、日本人スタッフの居るとのARICSを訪れて、同じ条件でいくら掛かるか、と聞いたら、運転手と車で、ガソリン含まず240,000ARIとのことであった。てな予備調査の結果を得て、夜30分ほど遅れてきたMAXって運転手と話して、50EURとガソリン代金80,000ARIで合意した。どんな車かと聞くと、表にあった普通乗用車を示して、こんな車だと言った。自分の車で来なかったのはガソリンを節約してのことだろう。
    ホテルに戻り、現地人リセプションに頼み、電話でペリネの宿を探してもらったが、金曜土曜のせいか、アンダシベのホテルは全て満室で、モロマンガに共同トイレの一室のみが見つかり、一応予約を頼んでおいだが、この国では予約は予約であると割り切ることにした。
    ってことで、翌日は、独立大通りやアナラケリーマーケットを見て回った。島さんの時代とは異なり、アナラケリーマーケットには宝石や化石は売っていなかった。
    後で判ったが、新しいマーケットが、空港への途上に出来て、そこで宝石やら化石は売っているのだ。(空港よりTANA市に近いらしい)
    10月12日 ペリネ訪問
    朝8時30分、実に、丁度にMAXがHOTEL SHANGHAIに現れた。既に町は盛況に動いている。出発して直ぐにガソリンスタンドに入ったので、80,000ARIをMAXに渡し、更に、20,000ARIをMAXの食費と宿代だと言って渡した。車は混乱する市内を抜けて、高速で市外へと走行した。道は、今までの道路とは異なり、完全な舗装が為されている。極めて順調な走行であった。やはり3時間を要して国道とアンダシベへの分岐点に至った。分岐点を左に曲がり、かなりの距離を走行するとペリネ公園の入り口が道の右側にあり、ガイドが何人か佇んでいた。更に進むと、最初のホテルのFEONY ALAに着いた。が、満室であった、更に進むと右手に、かなり良いホテルがあったが、ここも満室であった。更に進むと、あの有名な駅舎の前に出て、道はここから左に曲がっていた。MAXに聞くと「ここは良くない」と答えて、車を止めようとはしなかった。確かに駅舎はボロボロだし、道路を挟んだバンガローも住み心地が良いとは思えなかった。駅舎から先は舗装は無く、がたがた道をゆっくりと進んだ。線路を越えて河を越えるとアンダシベ村とマンタディア公園への道の分かれ道があり、車はアンダシベ村へと細い道を向かった。ボロ家の軒先を抜けて、一軒の、いよいよぼろなレストランの前に止まった。奇妙なことに汚いレストランには白人が居て食事をしていた。そこがHOTEL ORCHIDEESで、表からは判らないが、一見瀟洒な建物が裏にあったのだ。でもって、ここではMAXのおかげで、一泊40,000ARIで、まともなホテルに泊まれたのだ。
    ここのレストランの味は悪くは無いが、女房殿は始めから拒否反応に陥ってしまい。その夜は最後の持参ラーメンと村で買ったバナナで過ごした。また、このレストランの並びには、古い旅館もあって、そこはかなり安いらしい。そこにはフランス人を泊まっていたが、彼らは厳しい宿泊条件をものともしない人種のようだ。冗談ではなくって、僕は心底、」そんな彼らを尊敬してしまうのだ。
    このレストランで、朝食も、とても食べられない、と女房は言い、朝食用果物、多分バナナになるのだろうかと、これを買いに村のマーケットに行った。この村には似合わないと言うか、かなり近代的な雰囲気を持つマーケットで、外人用に高く売っている場所ではないかと思う。女房と二人で行き、店番の娘に、バナナ一房を示していくらかと聞き、手帳に数値を書かせると、5,000と書いた。僕は、ベレンティーへの道で買った時に、400ARIであったから、手持ちの500ARIを示したら、女房が、5000が500になる筈がないでしょう!と後ろで叫んだ。その権幕に驚いたのか、それとも5,000FMG=500ARIであったのか、娘はぼくの500ARIをつかんでバナナを渡したのだ。こわ~い。
     宿に戻り女房を置いて、僕は散歩に出た。僕はこんな村が大好きだ。誰もが穏やかで、のんびり、ゆっくりと暮らしている。村には似つかわしくない大きな広場で子供達が裸足でサッカーに興じている。行き逢う人と相槌で挨拶しながら狭い村の一本道をゆっくりと散歩した。

     これから以降は、まあまあ順調なツアーとなり、順調な旅となったのでクダクダとは書きたくない。で、特記事項を以下に列記することにする。(実は疲れたのだ)
    ① ペリネ公園には、JEANNOT(ザノー)という日本人から金をせびるガイドが居るが、人は悪くなく面白い男だから、適当な金額で折り合うのも良いと思う。でももっと若い男の方が視力が良いかもしれない。僕の場合は、彼らも苦しいのだからちょっとはいい目をさせてやろう、と言う通りの金をやった。
    ② 2時間のガイドの場合でもインドリは10時頃には鳴き始める。これを見てから帰ろう。
    ③ ペリネ入り口前の道路では、ヘイケホタルと同じ大きさのホタルが輝いてくれます。欧米人って、ホタルには全く興味が無いので、ホタルが可哀相ですわ。
    ④ HOTEL SHANGAIは、極めて効率的な運営をしていて、経営者一族は、海外ビジネスも活発に行っているようです。ここの一員とは帰りのBANGKOK行き便で一緒でした。なお、どのホテルもランドリーは非常に安いです。でも下着や靴下は自分で洗濯して部屋で干しましたが、HOTEL SHANGAIではこれを厳禁しています。だが、枕銭を忘れず置いていましたから密告は無かったです。
    ⑤ インターネットは、独立広場近くの電信郵便局(郵便局とは別)で出来ます。1分30ARI
    で、25分とか45分とかの予定をパソコン上で設定する。設定した時間分は払わねばならない。でもここには日本語フォントはありません。
    ⑤ 空港近くのHOTEL CHEVE BLANCOでは、日曜日の昼にビュッフェがあるが、これ
    はなかなか美味い。うちの女房殿も多いに褒めていた。18,000ARI/一人で、残ったのと追加分が夕食では16,000ARI/一人で食べられます。但し昼食はビュッフェだけですが、夕食は一品料理もたべられる。なお、この国ではどこもそうだが、蠅は多いのでこの点は諦めてね。また、この国で最も確実に安心して食べられるのはオムレツだな。
    HOTEL CHEVEL BLANCOでは支払いをドルやユーロでも受け取ってくれるので、滞在最終日に泊まると現地通貨を使いきれるので非常に便利である。
    ⑥ 宝石や化石は、空港への途上にあるMARCHE ARTISANALEで売っている。道路に沿って延々と店が連なっているので、急いで買うことは無い。ゆっくりと値段を聞いて回ってから決めればよいのだ。
    ⑦ TANAの出国カウンターには、あたかも事務員のような服装をしたおっさんがうろつき、出国カードを見せてチップをせしめようとするので気をつけよう。出国カードはチェックインカウンターの人に頼めばくれる。このおっさんはとっても臭いにおいがするので、直ぐわかる。僕はこのおっさんから貰い、一ドルやったのですが、これでは不足だ、セキュリチィーがどうのこうのと言い出したので、一ドルを取り返そうとしたら去って行った。後にはくっさい異臭が残ってました。
    ⑧ BANGKOK空港のトランジットホテル代金は5時間でダブル80ドルです。シングルだと75ドルですから、シングルは損ですねえ。このホテルの部屋は、今度の旅では最も居心地が良かったと、女房殿が言っています。でも、どこのHOTELでも、ぐっすりと寝ていたのですがねえ。
    ⑨ 今回の旅費は夫婦で、航空運賃240,000x2人+90,000円+604ドル+500EUR
    ≒航空運賃480,000円+245,000=725,000/二人
    航空運賃の比率がいかに高いか、滞在費は非常に安いのが判りますね。BANGKOK空港のトランジットホテル代金、みやげ代を含み、みやげ費用は50ドル以下でした。雨季になると航空運賃も安くなって行くが、今回はそのリスクを冒せなかった。正直言ってかなり痛い出費でしたね。
    ⑩ さて、我が女房殿ですが、一時は、もう立ち直れないかも、と言っていたのですが、日本に近づくにつれて元気がでまして。日本に戻ったその日から家族の食事をせっせと作ってます。それに、今回の旅が面白かった、なんて言ってます。う~ん・・・。なんて書けばいいのでしょうかね?
    更に、帰って一週間、女房殿が何やら書類を一心不乱に見ているので尋ねると、ガラパゴスと答えて、テヘッと笑った。うわ~クワバラクワバラ、勘弁してくらさい。
    一方、僕の方は10日も経った今も、夢はマダガスカルの村でバナナ買い、です。笑ったり、うなされたりしているらしいです。
    でも思い出せば思い出すほど、思わず笑ってしまうのです。個人旅行ってそんなものですよね。

    【旅行時期】2007/09/28~2007/10/17
    【エリア】マダガスカル
    【テーマ】世界遺産・遺跡・秘境
    【投稿者】isabon

    あくまで阿呆な、エジプトの旅(by isabonさん)

    前提
    アスワン、ルクソール、アブシンベルでのタクシーのご相談、ご用命はここでできます。
  • http://blogs.yahoo.co.jp/isamu32003/3197389.html


  • 写真は期間限定でここに入れてます。興味ある方は見てくらさい。でも、見どころは余り入れてません。行って見て感激してね。
    カイロ
  • http://picasaweb.google.co.jp/isamusan.shimizu/qNkrzD#

  • 西方砂漠
  • http://picasaweb.google.co.jp/isamusan.shimizu/xmydOK#

  • メンフィス周辺
  • http://picasaweb.google.co.jp/isamusan.shimizu/bzQxQF#

  • ルクソール以南
  • http://picasaweb.google.co.jp/isamusan.shimizu/RHgtqG#

  • アレクサンドリア
  • http://picasaweb.google.co.jp/isamusan.shimizu/oAjbuF#


  • 個人旅行のテクニックについては、マダガスカル旅行のところに書いていますので参照下さい。
    今回のエジプト旅行の計画では、過去の失敗を繰り返さない、と頑張ったが、やはり同じようなトラブルを繰り返した。他の問題点と共に列記すると下記となる。
    ①航空券予約を急ぎすぎた。つまり1月末の出発に対して、6ヶ月前の8月初め頃からスタートし、エジプト航空直行便で定価111,000円を発注したが、翌月、大韓航空の90,000円台が発売された。
    エジプト航空は直行便で大韓航空はソウル乗換となるが、共に、到着時間は21:00時台となっている。つまり大韓航空利用の場合は成田を午前中出発となるわけだ。
    まあ、本件に関しては好みがありますけどね。
    なお、AEROFROTだと40,000円台ですね。KLMだと80,000円台だけど、共にヨーロッパ経由で、特にKLMは、現地の着発が夜中やちゅう不便さがあります。それにヨーロッパ経由は燃料費が多めになるので、定価だけで比較しては駄目です。でも、40,000円台のAEROFROTを試してみたいですね。モスクワでのトランジットだから、それほどしんどくはないしシベリヤの上を飛ぶのも面白いですよね。モスクワ観光も良いが、1月はちょっと寒すぎますね。
    でも、今回のエジプト航空の帰路は、日本人グループがいっぱいで、economyを追い出されて、businesに乗れるって幸運もありましたがな。
    ②今回は大学時代の友人3人と同行(大阪、千葉、名古屋なので、現地集合、離散)だが、ホテルはシングル希望であり、カイロでは往路帰路合わせて合計8泊、総計延べ22部屋泊となった。8月後半にはHOTEL アラベスクでのメール予約を始め直ぐに決まったのだが、11月に再確認すると、始めの2泊だけは空いているとの回答であった。彼らには部屋数、日数ともに多すぎてリスクが有りすぎたのだろう。感心している場合ではない、と急いで探し、BERLIN HOTELってホテルで予約できたが、我々の滞在が長くてキャンセルされると大損害になると、再三メールされたので、日本人の誇りに掛けて泊まると返信し続けた。
    ③バハレイヤオアシスの予約はオアシスのwest-desertホテルと連絡して、カイロ往復130ドル、砂漠一泊オフロードツアーは150ドルで予約した。他のホテルにも問い合わせたが同じような価格であった。どうやら談合しているらしい。まあ、高めだが、3人で割りかんだから、まあまあちゃいますか。でもカイロの旅行業者を使いバハレイヤオアシスに行く途上で、ワディイルヒタンで宿泊するプランも出来たかもしれない。だが、砂漠行きは最後に調整したので、日数的に不足となった。砂漠ツアーが高いちゅうことも問題ですしね。
    ④アブシンベルとアレクサンドリヤでは、安いホテルにはMAILが無く、予約が出来なかった。FAXを送ったが返事も来なかった。FAX後に電話したが、話が通じず、電話代も馬鹿にならないので、、現地で予約することにした。
    てなことで、僕らはバックパッカーではなくて、ちゃんとサムソナイトを用意して、着替えは下着5換え、ズボン、Tシャツも多数って準備です。友人達はルクソールからアスワンまでナイルクルーズを楽しみ、アブシンベルから帰路はカイロまで飛行機に乗るなんて豪勢なものです。でも、僕は本来の個人旅行者らしく、もっと安い道を選んだのですが、それでも経済的ホテルよりは中級を選ぶとかの年寄りらしい贅沢はしてしまいました。何よりもゆっくりと一箇所に長く泊まる点が、若者の旅とは基本的に違う点ですね。そもそも年寄りは若者ほどには迅速な行動ができないのです。その理由は年を取ると判るようになりますわい。ごほっほほほほ。
    では、旅の本題に入りましょうね。

    今回も席の予約が出来てEチケットで楽々とチェックインできた。で、復路のreconfirmが必要かと聞いたが、必要ないとの答えがあった。でも、こわいから、やっぱりreconfirmはやっておこう、と考えた。ところでチェックインを待ってる時に、僕の後ろに並んだ体がでかく色がどこまでも黒い、自称ナイジェリヤ人の若い兄ちゃんが話掛けてきたのだが、ちょっと相手していると、「あんたの荷物は小さいね。僕のは重いから一緒にチェックインすれば50kgまで大丈夫だよ」との申し出だ。もっと若い時なら、可哀想にと考えて協力したかもしれないが、日本人の優しさをカモにする人間が多いって知った今では、そうは問屋が卸さない。で、「僕の軽い荷物の面倒を見てもらう気はないし、あんたの荷物の責任まで持てるかいな」と頭の中で考えて僕は黙って無視することにした。で、僕の順番が来て、空いたカウンターの前に進み出ると、受付嬢が「ご一緒ですか?」と聞くので後ろを見ると、後ろに兄ちゃんが付いてきていた。「違います」と答えると、兄ちゃんも日本語で「違います」と答えて戻って行った。
    飛行機の中では、窓際の僕の後ろに黒人が座り、その横の通路にその友人が立って話をしていたが、離陸前に立ったまま話しているので、スチュワードが通路の男に、席はどこですか?と聞くと、僕を指差した。あれれ、ダブルブッキングか、と僕は少々慌てたが、なんと通路に立つ黒人は、窓際の僕の席に座りたいと僕を指さしたんだってさ。スチュワードは「what can I do?」と答えていたが、誰も何も出来る筈もないやろが、と僕は思った。飛行機が飛び上がると、またその黒人が通路に戻って来て立ったまま、窓際の黒人と、延々と大声で話し続けた。しかも、飛行機の飛んでる最中とか、着陸時には、荷物入れに入れてあるその男の荷物の中で、携帯のベルが何度も鳴っていた。どうもアフリカの黒人って、かなり図々しいらしい。それにしても、飛行機の中で携帯が鳴るって不気味だよね。
    こりゃ黒人には注意せなあかんなと考えたのだが、この警報にも拘わらず、ASWANのヌビア人には酷い目に会わされてしまった。そうそう、飛行機の離陸が30分も遅れたが、なんでも、一旦乗った人がキャンセルしたので、荷物を降ろすのに手間が掛かったんだってさ。どうも、このラインは変わってる人が多いのとちゃいますか?

    窓際に座ったが、離陸後は雲ばかりが見えるだけで、直ぐに夜を追いかけることになって、窓際の意味が全くなかった。横には体の大きな日本人青年で、窓際に座った結果は、トイレに行くのが鬱陶しいだけであった。カイロ空港着が21:00着予定が1時間遅れ(何故か離陸時点から到着時間の放送は1時間遅れだった)で、60LEでホテルに頼んだTAXIがまだ待っているかが心配であった。心配事はいろいろあって、空港でいくら交換するかが問題であったし、できるだけ小銭が有るようにと紙に交換紙幣の枚数も書いて準備しておいたが、銀行員はおかまい無しに100LE紙幣で交換し、小銭が欲しいと言うと、50LEを少し混ぜてくれた。結果として、いろんな心配は杞憂で、100LEもしばしば必要となったし、この国では、交換率は全国で同程度だし、どこでも容易に交換する銀行がみつかるのだ。なお、1LEとは20円程度です。
    そもそもカイロ空港では、VISA印紙を買う必要があるものの、入国審査前に銀行で交換できるとか、荷物検査場に観光業者が入り込んでいるとか、変な状況があったが、真夜中の12時近くに検査場を出ると直ぐに、僕の名前を書いた紙を持つ男が待っていて、心からほっとしたのだ。
    カイロの印象は、とっても寒いってことで、日本から暖かい国に行けるとの夢はかなわず、着いたホテルの入り口の寂れた有様や、エレベーターのぼろな有様にも情けなくなった。部屋はとっても広く寒さが余計に身に染む感じで、シャワーは暫く流して漸く暖かくなった。余りに寒く、砂漠用にと持参した長袖シャツやラクダのパッチを身に着けて漸く寒さをしのげたのだ。これ以降、長期間のエジプト旅行が寒さとの戦いであった。、ルクソールやアレキサンドリヤでサイクリングを楽しもうなんて夢は打ち砕かれ、持参した半そでとか、長袖ではあっても薄手のTシャツは、一度も使用する機会は無かった。
    そもそも、車間間隔1m程度で延々と走る車の列の間を、サイクリングすることは、かなり危険でもあった。
    到着時に受付のホテルマンが受話器を渡し、その電話でオーナーの歓迎の挨拶を受けてから、カイロに滞在の間ずっとオーナーとは電話だけの話であったが、どうやらオーナーはホテルの一室に居るらしく、なぜ我々の前に顔を出さないのかが不思議であった。なんとなく、かなりのサスペンスですな。
    で、まあ謎解きだけはしておくと、復路で泊まって判ったが、彼は風邪と言うか、アレルギー体質の喘息で、部屋に引きこもっていただけのことなのだ。イタリヤ人みたいな雰囲気のおしゃべりで、世話好きのおっさんであった。
    そんな細々としたことを、延々と書いても無意味なので、読者の参考になりそうなことを列記しておく。
    ①昨年、今年と、カイロ、アレクサンドリヤの1月2月は寒さが厳しい。しかも、エジプトのホテルにはヒーターって概念が無いから、中級、経済的ホテルでは寒さに苦しむことになる。これを前提に、寒さ対策を用意することが必要です。出来ればホテル予約時に部屋のヒーターの有無も確認するのが望ましい。それと、薄くとも、シュラフが有ればベストですね。砂漠で借泊する場合も、寒さ対策以上に、きったない毛布に直接触れなくて済みますね。
    但し、CAIROのベルリンホテルは、確実にベッドシーツを取り替えていましたので安心してね。
    ②この時期には、エジプト全土に亘り、半袖や薄手のTシャツや半ズボンは持参しても無意味です。
    雨も時々降るので傘の持参が必要です。(ここ2年間の傾向です)
    ③町で売っているビスケットとか非常食の殆どは中国製なので、ちょっと危険だ。包装紙に中国語が書いてあるかを確認した方が良い。出来れば日本から持参が望ましい。
    ④物を買う時は、「いくらか?」と聞くと実勢の5倍程度の値段を答える。だから先ず、どの程度の価格かを想定して、金を出し、相手の反応に合わせれば良い。例えば、この国の大型のデコポン形オレンジはとっても美味いのだが、始めの頃には値段を聞いたのだが、1kgで12LE払っていた。その後、この方法を使うと、帰国間際には2.5LEで買えるようになった。インターネットは、1時間12LEが3LEとなった。実際はもうちょっと安いが、どう頑張っても只にはならない。
    ⑤TAXIに乗る時は、市内程度だと、「5LEで行くか?」と聞くと、運チャンが15LEとか10LEと答えるので、目標値を、その緊急度に合わせて、10LEで納得するか7LEまで粘るかってことになる。カイロ市内だと10LEだと殆ど納得するようだ。但し、大きな荷物を持って、ラムセス駅に着いた時などは、目標値を20LE程度に設定する方が事がスムースに進む。駅や高級ホテル近辺で待つTAXIは、多分場所代を払っているのだろう。その分だけ高くなるのだ。
    他方、道路には、車間間隔1mで疾走する車の群れの中の半分はTAXIだから過当競争そのもので、いくらでも安くなる筈なのだ。だが、日本のワーキングプアーを知り、己に対する会社の非情を経験した身としては、どうしても、支払額をとことん抑える気持ちにはなれない。適度なところで合意せざるを得ないのだ。
    ⑥一般人は英語を喋れないので、自分のホテルの位置を現地語で覚えると便利です。通りは、シャーリーと言います。駅名は、例えば、ラムセス駅は、マハティッ(ト)・ラムシースとなる。発音は現地人に教えてもらうこと。何故なら、地名のアルファベットの頭文字のQは発音しないとか、末尾の子音を発音しないなど、フランス語に似た発音やそこからまた変形した発音とかがあるようなんです。
    道路は一歩通行が多いので、ホテル周辺の通りの様子を覚えておくと、カイロ市内そのものがせま~い所だから、違った場所で下ろされても帰るのは簡単です。他の都市はもっと狭いからもっと簡単です。
    英語で質問しても、お互いに混乱するのが常です。
    ⑦アレクサンドリヤ(下エジプト)への鉄道切符は、上エジプトでは買えません。逆も同じです。
    ですから、できるだけ、ラムセス駅で全ての切符を買うのが望ましいです。
    時刻表はここであるが、確認は現地でね。
  • http://www.egyptrail.gov.eg/docs/index.html

  • 2週間以内の寝台車は、ラムセス駅南側のsleeping train切符売り場で、それ以前の予約切符は、駅北側上エジプト切符売り場の北端の窓口で買えます。北側には地下通路を通って行くことになります。Sleeping trainの切符購入はドルかユーロになります。
    アレクサンドリヤ等の下エジプト切符は、駅中央部の窓口になりますし、列車ホームもその周辺です。
    ⑧A/C付特急の切符は、普通特急の2倍ほどになります。いずれも、2等席は1等席の7割程度の金額で、1等席はグループ客の為にすぐに満席となります。でも、2等でもなかなか良い席ですから、気にしないで買いましょう。とっても安くて満足しますよ。なお、車内での飲食販売は、後清算ですから只でくれるのだとは思わないで下さい。しかも、車内販売の物は、とっても高いですからね。
    ⑨食事は、とにかく安い。腹いっぱい食べて25LEってとこです。昼は軽くコシャリで済ませば、一日30LEってところですね。

    僕は、到着翌日にラムセス駅で切符を買おうと歩き始め、途中で、道を聞くのだが、英語を理解できる人が少なく、本当に苦労をした。駅でも切符売り場があっちこっちなので更に苦労した。
    で、CAIROからLUXSORへのA/C特急1等112LE(額面は109LEだが、収入印紙代が加わる)で、LUXSORまでの分は売り切れていて、ASWANまでの切符が買えた。(意味わかる?)後から考えると2等を買えば良かったのだ。
    14日のASWANからCAIROへのワゴンリー(寝台車)は60ドル、14日のCAIROからALEXへのA/C特急102LEでした。でもね、14日の夜行で行くと、ALEXへは15日の朝になるのよね。
    そもそも、インターネットではALEXへの直行便がある筈なのに、切符売り場では、直行便が無いって言うので頭が混乱したのです。LUXSORで観光を済ましてから、駅を見に行った時に、この事にはっと気づいたのです。で、CAIROからALEXへの列車変更しようとしたが、上エジプトの駅では下エジプトの切符は扱えない、とのことでキャンセルしたのだ。この時に判ったが、キャンセルとか、列車変更には駅長のスタンプが必要だから、駅長室に行かねばならない。また、切符売り場の人は、どのプラットホームが該当列車かも知らず、駅長かインフォメーションに聞かねばならないが、インフォメーションはラムセス駅にしかないので、全てが駅長が頼りとなる。
    さて、キャンセルすると、元の価格の約半分、50LE程度が戻ってきただけなので大損となったのだが、後に、夜行でCAIROに6:00時に着いて、ALEXへの7:00の切符を買いなおし、午前中の1等の席はグループ客でいっぱいだった(多分日本人グループのせいね)。で、仕方なく7:00発普通特急の2等に乗ったが、29LEだったので、元は取り戻して、キャンセル返却金で21LEの余裕で買えたのだ。(意味判るかな?)
    ついでにALEXからの復路を通常特急の1等で買うと45LEだった。A/C特急って本当に高いのだ。

    1月30日には友人が全員そろいカイロ周遊をはじめた。
    初日は、午前中を考古学博物館で過ごし、ツタンカーメンの副葬物に感動し、有名なファラオ達のミイラとの面会に感涙した。我々の年齢になると、展示物のこまごまとしたことに批評が出て、時間が掛かるのだ。例えば、ツタンカーメンの副葬物に鉄剣があり、その時代は鉄器時代であったか否かについての議論は、ナイルの河馬の意味とか、アラバスタとは何かとか、ナイル渓谷の成り立ちとかと一緒に、今でもメールで言い合っているのだ。
    で、翌日は、シタデル、周辺モスク、ハーンハリって具合で、上記作戦でTAXIを都度ひろって行動した。でもってTAXIの拾い方とか値段の決め方には誰もが習熟したのだ。僕の友人なんぞは、「市内ぜ~んぶ定額」なんぞと言い出す始末です。
    シタデル近くのガーマ・スルタン・ハサンからズウエーラ門までの僅かな距離もタクシーとしたが、歯の抜けたおっさんの車はえらくボロで、僕は扉が落ちそうなドアーを手で押さえながら運転手と一緒に笑いまくった。エジプトってえらく面白い国やんか。でも、裏路地を走るTAXIの前席で、歯抜けのおっさんと日本人が笑いまくっているのって、現地人はどう思っただろうか。
    ガーマアズハルでは門を入って靴を預けて直ぐにガイドを買ってでた若者が居て、そのガイドそのものはなかなかのもので、ガイドの終わりに皆で相談して50LEをはりこんだら後10LEとねだられた。どうもこの国では善意を示すと増長するんだなと気づいた。こんな状況では3人の倍数で、しかも少なめの30LEを出すのが妥当だったのだろう。いやいや、15LEでも良かったのだろう。とにかく50LEではTAXIの運ちゃんに対して悪いではないか、と思った。
    ガーマホセインでは入口に靴番が居るのだが、現地人は靴を預けず手でそのまま持って行くので、僕らも手で持ってゆくことにした。靴番が駄目だ預けろ、と言ったが、そこを通過する現地人が、いいからいいからと、僕らに加担してくれた。一般の人は、神聖な寺院に巣くった靴番どもが、特に観光客から膨大な利益を上げていることに怒っているのだ。その後の旅でも気づいたが、いろんな所に巣くう便所番が、膨大な不労所得をあげていることにも、エジプトの一般人は腹を立てているらしい。

    こんな勉強をいろいろとして、夕食をホテル近所のEL PRINCEで食べたが、エジプトでは食い物には困らない。友人と大笑いしながら食っていて、その食事の最後の間際に、腹にドーンと重しが出来た。寒さと疲労と、それに何かのせいで下痢が始まったのだ。
    2月1日は、ピラミッド巡りである。HOTELに頼んでTAXIを1日210LEで雇った。安いもんだ。
    8時過ぎにTAXIがピラミッド地区の入り口に着くと、既に、観光バスがずらっと並んでいて、切符を購入して、TAXIでクフ王の駐車場に入った。クフ王の内部券は、地球の歩き方と違う、もっと奥の方で売っていたが、あまり買う客は居なかった。我々が買った後、韓国人の団体が駐車場から、わっせわっせと掛け声を上げながら走ってきた。
    クフ王の内部に入ったが、玄室にたどり着いた時には、下痢腹の空腹で、腹を抱えて座り込んでしまった。
    クフ王内部から出てくると、太ったベドウイン服のおっさんが写真を取れとうるさく言うので、写真を撮ると、今度は僕を写そうとカメラを取ろうとするので、「what are you doing !」と大声で叫ぶとあきらめよった。だが、友人の方はこれに引っ掛かってカメラを人質にチップを要求されていた。僕が大声を出しながら近づいてゆくと、僅かな金であきらめた。
    ピラミッド巡りを終えて、スフィンクスの葬祭殿のところで僕はもう限界に達した。でもってホテルに送ってもらい午後を寝て過ごし、友人達は予定通りOLD CAIROへと出掛けた。
    2月2日はサッカラー、メンフィス、ダハシュールである。7時から16時まで210LEのTAXIで同じ運転手だ。安全で落ち着いた信頼抜群の男である。
    ダハシュールの赤いピラミッドの内部に潜ったが、評判ほどには足は痛くはなかった。最近の若者は足が弱っているのだろう。そこから屈折ピラミッドへは車では行けない。で、僕らは歩いて行くことにした。でもね、途中の大きな砂丘に出会って、この企てはあきらめたのだ。

    2月3日は、砂漠のホテル手配のprivate carが、ホテルに迎えに来た。普通のtaxiで、運転手とガイドらしい男との二人なので、我々は後部に三人が座った。このまま4時間もぎゅう詰めかと、往復130ドルのprivate carにがっかりした。ところが、taxiはナイル川を渡ったところで高速道路を降りて裏道にとまった。そこで我々は大型ボックスカーの乗り換えとなり、8人程度は乗れる車を我々3人だけで乗ることになったのだ。ってことで、心配したprivate carって、なかなかのものだったのだ。
    つまり観光バスは別として大型車は市内への侵入を禁止されてるってことなんですね。運ちゃんはちゃっかりと現地人を助手席に乗せてやって小遣いを稼いでいるようだったが、まあ、ええですやん。
    ホテルもまあまあで、oasis周辺のツアー(周辺とは言え、相当遠くの砂漠や山、ピラミッドマウンテンやイギリス山などを回り、翌日午前中の町周辺みどころも含む)は、ちょっと高めの4駆60ドルで、なかなか面白かった。
    翌日昼からは、4駆150ドルの砂漠オフロードツアーで、ブラックマウンテンでは円錐形の山の頂上に立ち、クリスタルマウンテン、白砂漠、tomb 砂漠、となかなかの旅行となった。白砂漠の片隅にはフラワーストンって鉄の結晶の如き鉱石が集まり、これが長い年月で砕けたものが砂漠の上に縞模様を作っている。などなどと、まず、これからの一生、出会うことのない景観と経験の旅となった。
    夜は、白砂漠のきのこ岩の乱立する間で、汚いシュラフに潜って眠るのだが、夜空の星は降るように輝いている。銀河はあたかも河のように空を横切っていた。
    さてっと、糞は野糞である。懐中電灯で適切な場所を探し、とあるきのこの周囲がうまい具合にへこんでいるのを見つけた。尻を出してきばっていると、足元の白い砂の間に紙が飛び出している。なんとそこは誰もが糞に最適の場所と集まる場所だったのだ。どうやら靴で踏んでしまったらしいが、野糞って、大学時代以来のことでしたね。
    なにしろ、いろんな意味で凄い旅行となったのだが、どうやら、CAIRO往復費用とか、オフロード砂漠一泊ツアーは、BAHRAIYA OASISでの談合値段らしい。で、少なくともCAIROでセルビスを借り切ってCAIRO往復させれば、安くなる公算は大きい。誰か試してね。
    なお、帰ってから専門家に見てもらったが、クリスタルマウンテンの結晶は、水晶ではなくて、炭酸カルシュームです。大理石の透明なものですな。
    フラワーストーンは硝酸でも溶けないから化石ではないらしい。これも専門家に調べてもらってます。この石ってなんとなく楽しい格好してますねえ。その石がどんな格好か、知りたければ質問してね。
    (帰国してから高校の先生が調べ教えてくれたが、砂漠が海の底であった時にできたようです。エジプトの砂漠でしか取れないので別名、エジプトの星です。
  • http://www.selfcreation.net/Self_Content_metalstar.htm


  • 翌日はprivate carの有利さを一気に利用して、さっさとCAIROに帰り、BERLINで一泊して、
    翌日は、AC特急でLUXSORに向かった。
    CAIROのBERLINに戻ると、なんか、ほっとするようになりましたね。特に、真面目で頭の切れるオマールや、おしゃべりオーナーとの再会がうれしいです。
    ところで、LUXSORへの旅ですが、列車の窓は汚れ放題で車窓を楽しむことはできず、しかも、列車は3時間も遅れた。だがしかし、LITTLE GARDENの迎えはちゃんと駅で待ってくれた。ホテルの部屋は各人TWINをシングル利用だが、BERLINよりは狭く、おかげで寒さは若干はしのぎやすかった。周辺にレストランも多く良い場所でしたね。
    ここでは、デンデラへ半日観光150LE、西岸1日300LEでTAXIを予約したが、車はきれいで運転手は、車のオーナーの弟で、親切な若者だった。僕は結局65ドルで、この車を雇って、ASWANへの移動とその途上エドフ、コムオンボとASWANの観光を頼んだ。
    始めは、観光バスでASWANに行く積りであったが、ホテル側が何故かこれを渋ったのだが、その理由は、実際に車両隊列コンボイに加わってわかった。アスワンへのコンボイは、その殆どがASWANへの直行で、途中の観光を行うのは数台で、しかも、個人旅行者用のバスは運行していなかった。どうやら、LUXSORからの個人旅行者用のツアーの方が一般的らしい。
    (この点は確認不足です。多分、ASWANのここで確認できます。
  • http://www.keylanyhotel.com/kh/index.aspx
  •   )
    なお、他のちょっとボロッチイTAXIで、109ドルでアブシンベルまで行く中国人にも出会った。
    後の経験からすると、アブシンベルで一泊(旅館代は含まず、施設入場料含まず)で、ASWANまでの帰路を含むとするのが行動しやすいですね。でも、各市周辺の観光を除くと、コンボイに参加しないと行動できませんので、コンボイに合わせての行動が前提です。
    LUXSORを拠点とするTAXI (僕の使った良い車)のご用命または問合せは、
    LimozineCarInLuxsor オーナーのMr Ehab ayman_Boghdady@yahoo.com に問合せてみたら?
  • http://blogs.yahoo.co.jp/isamu32003

  •  ここは信頼できるし、それに、ホテルのマージンは節約できますね。でも、問合せでは先ず予算を言うことが重要ですよ。それに英語ですね。(結果は僕に責任なしですよ)
    それはそれとして、デンデラへは8時のコンボイが編成されるが、100台にも達するコンボイの中で、デンデラへの台数は少なく途中で分かれて数台となる。デンデラの寺内に入ったところで、胴巻きを便所に置き忘れたことに気づいて真っ青になった。車に戻り運転手の携帯を借りて、宿に連絡すると、宿屋で僕の胴巻きを確保してくれた。こわいなあ。
    LUXSORはとにかく凄いですね。西岸のラムセス三世葬祭殿は凄いです。閉園の4時ぎりぎりまでTAXIで回りましたね。翌日から友人達はNAILE CRIUSEで3泊4日のASWANへの移動で、これの付随の観光です。(TWIN部屋で一人210ドルです。なお、この旅ではガイドを頼むことが望ましいらしいです)
    で、東岸は一人で歩きとTAXIで回りました。ここのスークはASWANと同程度に感じが良いですね。
    一日はのんびりとして、12日には7時のコンボイに参加してASWANへと向かいました。TAXIには僕ひとりで贅沢な旅となりましたわい。贅沢と言っても65ドルだから勘弁してね。
    なお、観光しながらでも昼にはASWANに着き、ASWANのイシス神殿、切りかけのオベリスク、ダムを見て4時過ぎにASWAN のNubian Oasis Hotel (アスワン ヌビアンオアシス ホテル)に入ったが、ここでは、酷い目に会いましたわい。
    その事情を説明する前にイシス神殿のことを言っておくと、イシス神殿はアスワンダムとアスワンハイダムの間の島にある神殿で、なかなかの神殿なのだが、ヌビヤ人が多数派のASUWANであるからして、なかなか面倒なことがあるのだ。つまり、島に渡るには船に乗るのだが定期船ではなくって都度雇うことになる。島に着くと帰りを待っているから、他のグループとの時間合わせも必要になる。実質、各グループごとに船を雇うことになり、単独行の僕には非常に不利になるのだ。
    僕が着いた時には観光客は見当たらず、人相の極端に悪く体がごつい船頭らしき男が近寄ってきたので、いくらかと問うと75LEと答えよった。そもそも、いくらかと問うのがまずいのだが、焦ってしまったのだ。そこでたまたま体のでか~い現地人のアベックが来たので、一緒に行けないか?と問うと、そのアベックには完全に無視されてしまった。
    先の船頭を無視して先に進み、他の船に乗り込もうと(なぜ、そんな行動に出たのかは判らないが)すると、いくらなら払えるかと言われ、50LEだと答えると、尋ねたおっさんは、ちょっと考えて、60LEだな、と言った。で、OKと答えると、大人しそうな若い船頭の、小さな船に乗れと指示した。ってことで、小型の船を僕一人で使うことになったのだ。島に着くと、見学が終わったら、アッワーの船だと言え、と若い船頭は言い船を沖に出した。
    で、島で神殿を見学していると、どうしても先程のアベックにしばしば出会うのだが、出会うたびに「ぶた、ぶた」と小声でいい続けると、アベックはいや~な顔をしていた。更に連中は写真を取るときに変なポーズを取るのだが、「けっ!」と小声で、しかも、聞こえるように言うと、さすがに男の方は僕をにらみつけたが、無視して嫌がらせを続けたのだ。僕って性格が悪いのかなあ?
    さてヌビアンオアシスホテルの事に話を戻しましょうね。
    ASWANの観光を終えて、ヌビアンオアシスホテルに着いたが、荷物を運んでくれた車オーナーのEhab君は、ホテルの異様な雰囲気を感じてか、心配そうな表情で帰っていった。
    ホテルリセプション横に事務所があり、そこにマナージャー然としてふんぞっているMEZOこそが諸悪と根源なのだ。彼はE-MAILでわけのわからん返事をしばしば送信する男なのだが、実はマネージャーではないが、マネージャーが不在の時にその椅子に座り、兄弟達を事務所に集めているのだ。
    なんとこのMEZOって男の写真を日本で発見した。日本人相手に船を高く貸して、その船に同乗したらしい。船に乗った黄色い服のヌビアンで、黒い服は彼の弟ですわ。
  • http://afterabook.jugem.jp/?eid=440

  • 彼は僕を事務所に招き入れて、かように言い出した。
    「あんたの支払いは、宿泊35LEx2泊+フルーカ3時間100LE+アブシンベル旅行2回分70x2=240だな、前金で支払ってほしい」
    僕が渋ると、
    「わたしはあんたをTRUSTするからあんたもおれをTRUSTすべきだ」
    と言ったのだが、後になって判ったが、彼の英語の翻訳を間違っていて、正しくは下記でした。
    「あんたはおれをTRUSTすれば、俺はあんたをカモにしてやる」
    更に、有難い申し出があった。
    「大型バスにするから10LE追加して250LEだな。それとフルーカだがあんたの友人達もさそえば、3人で各人が70でいい」
    「友人達が、フルーカに乗るかどうかは判らないが、3人で100でいいのじゃないか?」
    「いや、警察の許可がいるから、一人70になる。あんたの分だけ50にしてやってもいい」
    と、訳のわからん計算がはじまった。
    「友人達と僕は同額でなきゃあ駄目だし、友人達は乗らない可能性が高い」と答えると、
    「なら、あんた一人だと100LEでは駄目だ。150LEだな」
    「じゃあ、キャンセルする」
    「いや、100LEでいい。では、アブシンベルはロングでね」
    ってな調子です。要するに十秒前に言ったことも忘れて、直ぐに言い換えるし、突然、警察の許可の話が出てくる。つまり、日本にもときどき居る、あからさまな嘘つき男なんですよね。それに、僕はアブシンベルではショートツアーだと何度も言ったのだが、最後にはロングツアーにされてしまった。
    僕から前金を受け取ると、そこで話題が急に変わり、
    「俺は、ニュービジネスを始めてる、日本からカメラを1000台買って販売してるし、中国とは携帯で提携する予定だ。あんたのカメラはふっるいねえ。新しいのを安く半値で売ってあげよう」
    こいつは、日本人からカメラを盗んだか、盗んだカメラの故売をするのだな、と思い、即座にこの提案を断った。なお、僕のカメラは本当に古いのだが、ほうっといてもらおう。
    部屋に行くと、バスタオルは無いし、トイレペーパーも無く、お湯も出ない。バスルームは洗面所で水を出すと、どこからか洩れて洪水になってしまう。
    で、レセプションに戻りタオルと紙を要求すると、ペーパーはあるが、バスタオルは洗濯が休みで無いので、と自分が使っていたタオルを渡した。こんなタオルは使えないなあと、バスルームの水のあふれの仕切りに使うことにした。なお、翌日も洗濯休みでバスタオルは無いってさ。
    さて、部屋のことだが、僕は各部屋を調べるのが好きで、その調査によれば、日本人とか韓国人は暗い部屋に押し込めて、現地人は明るく清潔な部屋に入れるのが、このホテルの方針のようであった。
    どうやら、MEZOって男は、外人からふんだくるのが喜びのようなのだ。特に日本人が嫌いだが、あたかも友人のような言動で騙すのが喜びなのだろう。
    地球の歩きかたでは、シングルで20LEと書いていて、メールで35LEと言ってきたときに、なぜか、と問うと、部屋は広くしたので25LE、それに、朝食付きで、10プラスだ、と返事してきたのだが、実際の朝食は、細いコッペパン2本だけで、飲み物も卵もない、エジプトでもちょっと有り得ないみじめな食事だった。
    友人達は、翌日、ナイルクルーズを終えてこのホテルに集結したが、彼らも前金で、10LEの大型バス代を載せて支払わされた。彼らの場合は、アブシンベルからは飛行機でカイロに戻るので本来は片道なのだが、ツアーバスは帰りは空席で帰るのだからと、これは、これで理屈に合っているので、往復分70LE+大型バス分10LEは払わされたのだ。
    MEZOは我々が、アブシンベルのノバレラムシスに32ドルで予約していることを聞き知って、「もっと安く泊まらせてやる。俺がついて行ってやるから、あんたらは、何も言わないで、おれについて来い」とのたまわった。MEZOのことを全く信じられなくなっていた僕らは、どうせ、金の臭いについて来るのだろう、それにしても、どう話が進むかのかと悩んでしまった。

    ところで、ショートツアーとは、アブシンベル往復だけのツアーで、ロングツアーとは、帰路にアスワン周辺の観光も含むツアーなのだ。僕は、アブシンベルに一泊するので、ツアー2回分を支払ったのである。すでにアスワン観光は終えているので、ショートツアーだと何度も言うのだが、MEZOは聞く耳を持たないのだ。
    後でわかったが、MEZOは初めから安く発注できる運転手を捉まえていて、その車はロングツアーだから、ロングツアー以外は受付けないわけだ。

    なお、友人達はナイルクルーズにフルーカも入っていたとのことで、僕だけはキャプテンなる男と夕方のクルーズに出掛けた。男は川べりに行く途中でも、誰かれなく声掛けて、フルーカーの同乗者を捉まえようと試みたが、結局は僕一人だけの贅沢な船乗りとなった。降りるときにチップを20LEはりこんだが、非常に不満でもっとよこせと言い続けた。で、MEZOに100LE渡したからMEZOに言えと答えると、途端ににこにことしたのである。

    さて翌日は、3時起床、3時15分食事、3時30分出発だと指示され、目覚ましも2時45分にして、早めに寝床には入ったのだが、目覚ましが鳴る前にドアーをドドドドと叩く音がして、わ~寝過ごしたんだ!と驚いて、時計を見ると2時半だった。朝食を食べてレセプションに行くと、韓国人の若者と、僕の友人が集まっていた。レセプションにはMEZOは居なくて、体格のがっちりしたスーツのおっさんが居た。時間が早いのじゃないか、と言うと、バスの時間が早まった、ところで、旅行代にいくら払ったのかと聞いてきた。支払った価格を話すと、えっ、フルーカにも乗ったのか?と不審そうな顔をした。このおっさんはMANAGERとのことで、友人達にもMEZOに支払った金額を聞いたらしい。MEZOが下っ端であり、しかも、どうやら金を誤魔化しているらしい。ASWANってみんながこんな調子らしい、と僕は思った。
    そこに、きざな格好をしたMEZOが現われ、「あんたと一緒にはアブシンベルには行けなくなった」と言い、旅行者全員に階下に行くようにと指示したが、韓国人のグループに「後、10LE払えば大型バスの乗せてやる」と言ったが、韓国人たちは無視したようだ。
    僕の友人達は、ここには戻って来ないのでサムソナイトを引き摺っていたが、MEZOはそれに気づき、荷物は置いてゆけ!とのたまわった。
    友人達は当然ながら、ここには帰って来ない。馬鹿じゃないのか、こいつは!と、僕らは一斉にNO!と叫ぶと漸くMEZOはあきらめた。
    下の道で待っていると、大型のバンが現われたが車は概ね満席であった。運転手が下りて、2階の窓から首を出したMEZOと叫びあい、MEZOは韓国人達に乗れ!と指示した。彼らが乗車すると、また大声で運転手と話してから、僕に「お前も乗れ!」と叫んだ。僕は、「大型バスの代金を払ったぞ!」と叫ぶと、MEZOは「これが大型バスだ」と叫び返した。くそ!と思ったが、他の車も満席なら、一席でも埋めないと仕方が無いかと、友人達と離れ車に入ったが、僕の席は扉横の補助席なる最悪の席となったのだ。
    このように書くと、このドタバタがかなりの時間であったかのように思えるが、実際は1分か2分のことなので、このドタバタに紛れて、MEZOの思い通りに事は運んでしまうのですわ。
    さて、出発した車は、百台は下らないコンボイの列の中に入り、待機したのだが、行過ぎる車を見ると、そんなには混んでおらず、中には、すかすかの車だって多い。くそ!またMEZOにやられたと僕は気づいたのだ。つまり、MEZOは、満席の車の助手席に押し込むことで、僕ら日本人や韓国人のツアー代金を安くして、差額を自分のポケットに入れているのだ。
    先の話になるが、一泊して、翌日の帰りの車は、当然、同じ車両にならざるを得ない。この性悪MEZOと組んだ、多分、こいつも性悪の運転手は、翌日の車も、補助席まで満席にしていて、僕の席はやはりドアー前の最悪の席で、帰りのツアーの最初の場所であるアスワンハイダムでは、最初に降りて、最後に全員が乗るまで荷物を持って車の外で待たざるを得なかった。
    そこで頭にきた僕は、乗車するときに、ドアーをがっしゃんと閉じて、補助席をドタンバタンと下ろして意思表示をした。運転手が困ったような顔をしてちらっと僕を見たが何も言わなかった。イシス神殿に向かう道路に差し掛かったので、僕は、おろせ!と叫び車を止めさした。
    TAXIをひろい、ホテルに帰り、レセプションの男に事情を話し、ついでに、どなりつけて、お前らのやり口をインターネットで公開してやる!ど、どなりつけた。レセプションの男は、ロビーの奥の椅子に僕を座らせ、エジプトサンドイッチと紅茶を出し、「そんなことをしないで下さい。ね、約束してね?」と言ったが、僕は別に約束はせず、以後は黙ることにした。その後、男は電話をあちこちにして、そのうちレセプションの僕から見えない所に、MANAGERとMEZOが集まり話をはじめた。と、突然、MEZOが大声でののしりだしたので、柱の陰から覗いてみると、MEZOが携帯に罵っているのだ。あれあれ、全てを運転手のせいにしだしたな、と僕は思った。
    ところで、友人達とはノバレラムシスホテルで再会を果たしたが、彼らの乗ったミニバスは席がいっぱい空いてたんだって。でも、運転手がとっても友人達に機嫌が悪かったことからすると、MEZOはとっても安い金額で発注したんだろうってさ。
    でも、とにかく、僕が最も悪いくじを引いたらしいね。それなのに、友人達には僕が彼らを見捨てたと思われたらしい。
    帰ったらきっと地球の歩き方に言いつけてやろうと思っていたのに、帰って最新版を見ると、
    NUBIANNOASISは既に地球の歩き方のASWANからはトンズラしておったのだ。
          MEZOのばかやろおぉぉぉぉぉぉぉ!

    さて、皆さんは事情を完全に理解できただろうか?と心配になったので、ASWANでの手配についてアドバイスしとこうね。
    ① ヌビアンオアシス(ASWAN)には泊まらない方がよい。頭の速さに自信があり、MEZOをやっつける自信があれば是非泊まってください。結果は報告してね。でも、その際には、彼らに取って外人観光客のメリットであるツアーを先にしてしまうと、役目が終わったとして追い出される恐れがあります。
  • http://blog.goo.ne.jp/take4971/1

  • だから、ツアーは最後まで切り札にしたまま安く泊まり、他のまともなホテルを探しておいて、さっと移って、そのホテルでツアーを手配するのがベストです。
    それと、せめて、ここまで凄いMEZOの顔を見たいと思う人は、スークに沿って高々と建ってるヌビアンオアシスホテル (NUBIAN OASIS HOTEL)の2階のロビーに行ったら?
    ② ロングツアーとショートツアーを明確に区別する宿に泊まろう。
    ついでに、アブシンベルから飛行機で帰る時は、荷物を持って行くことや、アブシンベルで泊まり翌日のバスで帰る時は、そのことを確認しておこう。
    ③ 大型バスに乗せて、補助席には座らせない、ってことを確認させようね。バスの写真を持っていって、大型バスってこれより大きなバスなんだよ、って確認しよう。
    ④ 朝食には、コッペパンと、バター、ジャムと卵と紅茶を付けることって要求しようね。

    ところで、僕がアブシンベルではホテルに宿泊するってことは、運転手にも知らされていて、満席ミニバスが、アブシンベルに7時半には着き、他の乗客には「9時半までにここに集まれ、さもないと放っていくぞ」と脅されて出て行ったあと、町の中央部のノバレラムシスホテルまで連れていってくれた。明日は8時半にホテルの中で待っていると言い残して車はどっかに走っていった。このおっさんが翌日はましな座席に座らせてくれていれば、先のような修羅場にはならなかったろうが、実際は、帰路も最悪の座席しか僕にはなかったのだ。

    ってことで、MEZOの登場で、この旅行記をぐ~んと緊迫感が高まりましたねえ。でも、これ以上の盛り上がりを期待されても困ります。皆さん、深呼吸をしてから読み続けてくださいね。

    僕の友人達はかなり遅れて到着したが、彼らの乗ったミニバスには十分に席があったらしい。その運転手は、多分先に述べたような理由でか、かなり機嫌が悪かった。
    だがしかし、アブシンベルは観光シーズンだっていうのに、価格も安く設備もまあまあのノバレラムシスは、ガラガラであった。翌早朝に大勢居た観光客はどこに泊まってるのだろうか?その点が今でも疑問ですがな。

    それと、コンボイに参加する車両ですが、どの車も必死で競争するんですが、なんで、あそこまで競争することに意味があるんですかね?目的地に着くころになると、み~んなバラバラになってしまい、コンボイ(隊列)の意味がなくなってますがな。なんとなく警備兵とか観光業者とかの、過去の利権をひきずっているような感じですね。ASWANとLUXSORの間では、この事情は特にひどく、目的地に近づくと警察の車まで走り去ってしまいます。この区間では既に白人達は列車で観光してるとも、ある旅行記には書いてますからね。

    ノバレラムシスホテルは、神殿から歩いて15分~20分程度のところにありまして、まあ、歩いてもしれてるんですが、お客さんはさっぱりでしたね。レセプションは僕らが来るので急遽採用されて、僕らが居なくなると、やめるんだって言ってました。気の良いおとこでしたねえ。
    社長は入り口、レセプションの向かい側にある社長室に居まして、なんでも、写真SCHOOLも経営してるって言ってました。アブシンベルの土田舎で、写真スクールで誰が生徒なんでしょうかね?
    昼食は、気の良い男がオムライスを作ってくれました。夜食は、光と音のショーに行く途中にネフェルトアリホテルで取った。ここは日本のツアー客が集まるところの筈だが、我々以外に食べている客は居なかった。どうやらショー見学に早々と出掛けたらかった。ちょっと高めだが食い物だけは、エジプトは、まあまあですな。(でも、どこで食っても素人料理みたいなもんです)
    アブシンベル神殿は、これはもう、下手に報告すべきものではないだろう。隅から隅まで見て回りました。到着日の午後いっぱい、夜のショーと、朝は迎えのバスが来るまでと、口うるさい友人達とあれこれ議論しながら見て回りました。僕らには時間はいっぱいありましたからね。
    最も驚いたのは、大列柱室の側室だが、その一番奥の方は、浮き彫りの下書きだけで、彫りこみが為されていないことだった。彫りこみ後に着色するのだが、ここでは彫りこみが省略されて着色だけが為されているのだ。ラムセスの威光もここまでは達していなかったのだろう。
    それにしても、これが3500年前に建設されたとは、驚異そのものではないだろうか。
    残念なことに朝陽は神殿の奥までには達しなかった。2月14日ではちょっと早すぎたのだ。
    でもまあいいや。こんなに楽しかったのだからね。

    てなことで、アブシンベルも無事に終えて、先に書いたようにASWANへの帰還はドタバタとして、5時のワゴンリー(フランス語でただの寝台車って意味)に乗ったのです。
    いまやエジプトに慣れてしまったので、列車ではぐっすりと眠り、目を覚ますと
    下のベッドに中国人の太った青年が寝ているのに気づいた。僕の60ドルはTWINの一ベッド分だったのだ。だが、青年は目覚めると、こそこそとどこかに消えた。彼はいったい何だったのだろうか。でまあ、無事に勝手知ったるラムシース駅について、112LEがキャンセルで半分に減った金で、7時発のALEX行特急の、1等はないので2等席を29LEで買い、11時にはALEXのマスル駅に着き、すぐにTAXIを捉まえ、先に着いた友人が居る筈のハイドパークに向かった。名前とは大違いのホテルは建物の奥の5~6階にあり、エレベータはボタンを押しても1階に来ず、エレベータの止まっている階まで駆け上がり、乗り込んで1階に荷物を取りに戻った。どうやら、エレベータの扱いもエジプト人並みに上達した。でも、通過するエレベータの扉を手で叩いて開き、エレベータを停止させるなんて達人にはなれそうもない。
    でもって、その日の午後のうちに友人と見物を終えて、翌日2時の特急で、一緒にCAIROに戻った。本当はもう2泊する積りであったのだが、風が寒くて、地中海を楽しむ気分を失ったのだ。なおアレクサンドリヤでは乗り合いミニバスの乗り方も覚えた。
    カイロのBERLINに戻ると本当にほっとした。
    友人は翌日大阪便で帰り、僕がひとりになった。
    でもって、勝手知ったるカイロの、博物館を再度訪問し、更に中庭は無料で楽しみ、町中をうろうろと歩き、残ったエジプトの日々を終え、19日発のエジプト航空便で日本に帰ったのだ。BERLINホテルは支払いがドルで出来るので、最後の支払いはドルでやり、現地通貨は21LEだけ残った。例の真面目な運転手のTAXIで空港についた時に、残った20LEをチップでやると、彼は本当に嬉しそうに握手を求めたのだ。
    なお、カイロ空港は、日本人の熟年者ツアーでいっぱいで、僕はエコノミー席から追い出されて、ビジネスクラスであった。

    と、もうちょっと疲れたので、簡単に幕を引いたのだが、そのうち、もうちょっと修正しますが、今日のところは、これで勘弁してね。

    ところで、旅を終えて一週間になるのですが、毎晩、夢の中でエジプトを走り回ってます。これも、疲れるんですよね。で、夢はエジプトを駆け回る、です。

    今回の旅費は航空運賃130,000円、現地費用は24日間で、811ドル+60,000円=149,000円 で、合計279,000でしたね。安い旅行ですね。

    ・ラムセス2世がヒッタイトと平和条約を結んでから、エジプトの王侯には、ヒッタイトから鉄器を送られたとのことが、エジプトとヒッタイトの双方の記録に残っています。
    また、遅くとも紀元前13世紀には、ヒッタイト人は鉄溶解と鉄器技術を習得し、この技術は、機密とされていたが、ヒッタイト王国が崩壊後、紀元前1千年紀(紀元 前10世紀以後)にはオリエントは鉄器時代に入ってゆく。従って、ツタンカーメンの鉄器は、ヒッタイト人から入手したものと思われる。

    ・アラバスタとは石膏でした。
  • http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E8%86%8F


  • ・河馬のことですが、中央公論社 世界の歴史1巻 p400に「さわいだ河馬」って項目があります。ヒクソスの王アポピスからテーベで王を名乗るセケネンレーにあてて、「テーベの河馬が騒がしくて眠れない」と手紙を出した。テーベから600kmも離れたところに居るアホビスの言いたいことは、謀反の疑いがあると言っているのだ。セケネンリーが、謀反する気は無いと返信している。だが、セケネンリーがは謀反を起こしたらしく、そのミイラの骨の頭部には戦闘での陥没が残っている。これらの文章やミイラが実際に発見されている。なお、その息子はヒクソスをエジプトから追い出し王朝をつくった。

    エジプトの星(フラワーストーン)
  • http://www.selfcreation.net/Self_Content_metalstar.htm



  • 【旅行時期】2008/01/28~2008/02/20
    【エリア】エジプト
    【テーマ】
    【投稿者】isabon

    中国旅行記5(32)11月6日(1)上海・上海博物館、お茶の専門街(by 旅人のくまさんさん)

    前提
    <2004年11月6日(土)>

     明日の早朝出発なので、実質今日が最後の日となりました。私の場合、Ogさん、Enちゃんとご一緒に第1陣と出発し、明日までの8泊9日の長逗留になりました。この間、楽しい思い出ばかりが積み上がりました。日本へ戻ってからの旅行記の取り纏めが大変になりそうです。撮った写真も1600枚程ありました。

    <今朝もOgさんが朝食を>
     今朝も早起きして、Ogさんが朝食を作ってくれました。焼きたての鯵の干物も食卓に並びました。本当に申し訳ない贅沢をさせていただきました。
     Enちゃんも同席の時の雑談です。「中国では旦那さんが朝食を作るのが普通です」といった中国の生活様式の話でした。「でも、お父さんは作っていなかったようです(オフレコでしたか?)」と言った話も飛び出しました。

    <上海博物館>
     今回の旅行で、個人的に見学したかったのが上海博物館と上海美術館でした。美術館の方は実現しませんでしたが、博物館の方は2時間ほどかけて見学することが出来ました。特別展も併設されており、見所がありました。次回の機会には、更に時間をかけて見学したいと思っています。S.P.先生に所縁の深い施設とお聞きしました。
     写真撮影も規制されていませんでした。かなりの数の写真が撮れましたが、この後で、別冊写真集として編集する予定です。そんな事情から、ここでは簡単に触れるだけにします。
     特に印象残ったことを一つだけ記します。中国と韓国の陶器に関する印象です。韓国で国宝に指定されている青磁、白磁その他の焼物を眼にする機会が多くありましたが、今回の見学で、殊にそのデザインのルーツのようなものが見えました。
     正確な製作年を比較したわけではありませんが、こちらの品が古い年代であるのは間違いがないでしょう。ただ、韓国の焼物は、洗練された技術と形式美の価値が素晴らしいことに変わりはありません。韓国を焦土としただけでなく、陶工たちを日本へ連れ去った秀吉が、今でも恨まれているのは止むを得ないかも知れません。

    <お茶の専門店での買い物>
     お茶の専門店は運転手のチョウさんの紹介のようでしたが、タエさんもご存知のお店のようでした。Enちゃんも正直ベースのこのお店が気に入られているようでした。
     私も買い物のメインはお茶でした。今年の3月にも台北で高山ウーロン茶を大量に買いましたので、まだ手元に随分残っていますが、余ったら早めにプレゼントするだけのことです。この旅行の後でも台北旅行が決定していますから、少しだけ控えようとも思っていました。
     その専門店は下町の専門店外の中にありました。店先に立派な一枚板の茶席があり、そこで各種のお茶を試飲させていただきました。
     烏龍茶は鉄観音がメインのようでしたが、高山茶もありました。いくつか飲み比べ、結局高山烏龍茶にしました。その場で小分けして、真空パックにしてもらいました。
     そのパックは鉄観音ですが、中身は高山烏龍茶です。たまたま高山茶用の真空パック用の袋がなかっただけです。ほとんど値引きしてもらえませんでしたが、正直ベースの商売を前提と言うことで、それ以上はお願いしませんでした。変わりに別のお茶のプレゼントがありました。

    <列車レストランでの夕食>
     Enちゃんが選んでくれた最後の夕食も、1875年創業の「上海老站餐庁(お店のパンフレットの表記)」、由緒ある老舗中の老舗でした。昔の駅(站)がベースになっていて、列車がそのままレストランに改造してありました。見学するだけでも価値があるお店です。
     ガイドブックには「上海老飯店(シャンハ・ラオファンディエン)」と記されているようですが、同じ店のことです。国賓や要人も使用する風格のあるお店です。
     この店で食べたメニューでは、鱶鰭(フカヒレ)スープを最初にあげておきます。たっぷりと鱶鰭が入っており、全員同じものを頼みました。値段も高かったようです。この日は余り混んでなく、ゆっくりと上海料理の数々を楽しみました。

    <足裏マッサージ>
     旅の後半は、4日続けて足裏マッサージに通いました。杭州から戻った3日の夜から、出発前日の6日の夜までです。リュック一つだけの荷物は、お土産で倍以上に膨らんでしまいましたが、フットワークの方は足裏マッサージが随分効いて、「来た時よりも軽かった」状態になりました。
     その料金がたったの300円、25元でした。普段は30元ほどのようですが割引期間中でした。もし、30元としても、400円弱のことです。
     薬草を入れた少し熱めのお湯に足を浸し、肩のマッサージの後、たっぷりと合計1時間、足裏マッサージをしてもらっての値段ですから、病み付きになってしまいました。帰国した後に、何人かの人にその話をしましたら、例外なく「中国に足裏マッサージに行きた~い」と言う反応でした。
     私の場合、土踏まずの辺りの強いマッサージの時に、かなり強い痛みを感じましたが、共通して「肝臓」の話が出てきました。思い当たる節もありますので、少し力を抜いてマッサージしてもらいました。それで、つい、ウトウトと30分ほどは夢心地です。
    私自身、今回の旅行がきっかけで、足裏マッサージだけでも上海旅行をしたいほどファンになって仕舞いました。


     上海の自由市場に人溢れ物も溢れて明日拓けゆく

     時止れ叶ぬ願ふと過ぎる旅の終りの近しこの夜

    【旅行時期】2004/10/30~2004/11/07
    【エリア】上海
    【テーマ】イベント・祭り
    【投稿者】旅人のくまさん

    前提とは?

    前提(ぜんてい)とは、ある物事が成り立つためにあらかじめ満たされていなければならない条件のことをいう。論理学・言語学では、いくつか異なった文脈で用いられる。
    前提 (premise) とは、推論の出発点となる命題のことをいい、結論の対義語である。アリストテレスの三段論法では、大前提 (major premise) に一般的な原理、小前提 (minor premise) に個別の事実を置き、そこから新たに導出される命題を結論と呼ぶ。
    :大前提:すべての人間は死すべきものである。
    :小前提:ソクラテスは人間である。
    :結論:ゆえにソクラテスは死すべきものである。
    言語学(意味論・語用論)において前提 (presupposition) とはある命題が適切に発話されるためにあらかじめ知られていなければならない命題のことである。訳語は同じであるが、上述の前提 (premise) とは全く別の概念である。たとえば、

    前提の詳細

    前提の画像